9月末に、ムラのミライが主催で、
沖縄の米軍基地問題をテーマにした映画「標的の村」の上映会を行いました。
私も、関西学院大学に行っている息子に、
そのチケットを友人にも売ってくれるように頼んでいました。
すると、ある夜、次のようなことを言ってきたのです。
「チケットを薦めているうちに友だちといろいろ議論になった。
同じように米軍基地がある山口県の町から来ている友人が、
『確かに地元の負担は大きいけど、その一方で、基地がなくなったら、
雇用の問題などで地元の企業や住民が困るのではないか』
と言うんや。そう考えるとこれは結構微妙な問題やないんかな、
と思えてきたんやけど…」
こんな俗説にすぐに惑わされる息子が情けなくてあきれ返ったものの、
ここはしっかり理解させなければと思い直し、
以下のように問いかけ始めました。
私「基地がなくなると地元の人が困る、と言うわけやな。
じゃあ、それは、お父さんがいなくなったら、お前たちが困るということと同じか」
息子「うん、学費が払えなくなるからな」
私「確かに、お父さんは、今夜寝ているうちに、心臓発作か脳卒中であの世に行くかもしれん。
あるいは、インドネシアのスラウェシ島あたりに出張中に、
のどかな海辺の村にそのまま居つきたくなって、
失踪してしまうこともありえる。そういうことやな」
息子「ないとは言えんな、お父さんやったら(笑)」
私「じゃあ、聞くけど、沖縄の米軍基地も、お父さんがいなくなるように、ある日急になくなるものか?」
息子「いや、それはないな。
あんな巨大な施設が他に移転するためには、けっこうな時間がかかるやろな」
私「実際にどのくらいかかるかはお父さんにもわからんが、
最終的に決まるまでに相当の時間がかかるやろし、
決まってから実行に移すまでも3カ月や半年の仕事やないやろな。
実際に移転の作業となると、さらに数か月か、あるいは数年の単位が必要かもしれん」
息子「確かに」
私「で、その間に、地元の人や企業や自治体、そして政府は何もせんといるか?」
息子「いや、雇用創出など、代わりの対策をなんぼでも打てると思う」
私「そういうこと。要は、基地に依存しない地域を本気で作る気が、行政や地元にあるかどうかにかかってる、いうことやろ」
息子「確かにそうやな。とすると、基地がなくなったら地元が困る、というのは根拠のない一般論に過ぎなかったわけや」
私「お父さんたちの言い方やと、『それはパーセプション、つまり思い込みに過ぎない』ということやな」
子どもたちが中学生や高校生だった頃には、
練習を兼ねてことあるごとにやっていた対話型ファシリテーションの実践を久々にやってみた、その報告でした。
なお、実際のやり取りはここまで体系的ではなく、また記憶があいまいなところもあったので、
息子の協力を得て二人で再構成したものが上記のやり取りです。
この後、同様な構造を持つ原発の立地の問題や、
同じように見えても構造の違う炭鉱と夕張市の関係などについても少し話し合ったのですが、
長くなるので今回はこのへんに留めておきます。
(中田豊一 ムラのミライ 代表理事)
「課題を浮かび上がらせる対話」を実地に学ぶ研修 |