2015年4月28日火曜日

探ろうとすると見えなくなる「問題」in スリランカ

425日にネパール中部で巨大地震が起こり甚大な被害が出ております。被災地の皆様に1日でも早く心からの平穏が訪れる事を祈っています。

さて、前回、おじさんとのエピソードについて書きました。今回は、対話型ファシリテーションの視点から、実際の活動場面を振り返ります。

20132月に北中部州アヌラーダプラ県のとある村で活動を始めました。隣村では「野良」象も出たジャングルのような自然豊かな環境です。私は、村役場の社会福祉部局に配属され、「地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)」という障害分野の事業で活動しました。

赴任後、まず状況把握のため、現地の同僚である行政官とともに村の障害者の自宅を巡回しました。巡回前には、障害者は劣悪な環境で暮らしているというイメージ(ステレオタイプ)がありました。実際の巡回先では、たとえば、次のようなやりとりが現地語のシンハラ語で行われました。

私「今の生活はどうですか?」
当事者「うーん。悪くないよ。」
私「なにか生活の中で問題はありますか?」
当事者「問題ねー、この通り。お金がないことかな…。」
母「社会福祉局で月3,000ルピー(円換算で約2,400円の障害者手当)がもらえるって聞いたんだけど、もらえるのかしら。」、「前に外国人からもらった車椅子があるんだけど、壊れてしまった。新しいのがほしいんだけど。」
私「(あれ、なんじゃこら…)」

当時、「問題」が「見えない」という不全感、「誰の問題」なのかなど、聞いているうちによく分からなくなっていました。しばらくして、「途上国の人々との話し方」を思い出し、自分で自分の罠にはまっているのでは、と気付きはじめたのです。

ここでは「なぜ(Why)」を使っていません。しかし、具体的な答えを引き出さない「どう(How)」を始めに使っています。その後、「問題」を聞いていますが、これは行政や外国人支援者への期待を家族に回答を作り出させてしまっています。『事実』ではなく、『意見・考え』を尋ねる質問に他なりません。

障害者手当等については国の制度があるので、条件を満たせば受給できるという権利を否定するつもりはありません。しかし、振り返ると、このようなやり取りにより、現地の人の生活が見えなくなってしまうとともに、「援助者―被援助者」「お上(行政)―住民」の関係をさらに強化してしまうと言えます。

エセナム・ナワタ・ハムウェム(それではまた会いましょう)!



(ボランティア 東田全央)