→身の周りのものを褒める
(インターン 池田)
シンプルな対話を通して当事者主体の学びと気づき、さらには行動変化を促すメタファシリテーション(対話型ファシリテーション)。 ムラのミライの活動現場や様々な状況での事例や学び方を紹介するブログです。
第19号 「ネパール地震、その後のその後」2015年8月4日発行
In 601プロジェクト通信 ネパール「バグマティ川再生 でこぼこ通信」 by master
1.はじめに
2.マノッジ先生の学校
3.壊れたDEWATSは誰が修理するの?
2015年6月中旬のカトマンズ・トリブバン空港
相変わらず流暢な日本語をあやつるタクシーの客引きにつかまりそうになりながら、空港を出て、その“相変わらず”ぶりにちょっと安心した私(注1)。
前号まで「でこぼこ通信」を執筆していた、ショーコ(池崎翔子)の後を引き継ぎ、今回から三代目語り手こと私(田中十紀恵)が通信をお届けすることになりました。
あれこれと言ってみては、和田(注2)に代わってネパール人スタッフたちから「トキエさん、いやいやそれは…」と諭される、ヒヨッコもいいところですが、スッタモンダや失敗談、和田の名ファシリテーション、ネパール人スタッフたちの奮闘、そして時にはネパールの魅力も交えつつ、プロジェクトの様子をお届けできればと考えています。
さて、ネパールオフィスは5月からオフィス業務を再開。自身も被災しながら緊急支援活動に動いていたスタッフたちですが、私がカトマンズに到着する頃には、以前と変わらぬ様子が戻っていました。地震後、日本からスタッフ全員の無事を確認していたものの、実際この目で、一人も欠けることなく無事な姿を見て一安心。
今回の通信では、ネパール到着後1ヶ月のあいだに、ネパールオフィス新米の私が、現場についていって見聞きしたことをご紹介します。
震災後、カトマンズの多くの学校は6月から授業を再開しました。オフィスのあるボーダでも、朝夕に制服を着て歩く子どもたちの姿をよく見かけます。
カトマンズに到着して間もなく、ディベンドラ(注3)の案内で、昨年度に実施した訪日プログラムの参加者の一人、マノッジ先生の学校を訪問させてもらいました。
「ナマステ、マノッジジ。サンチャイフヌフンチャ?(こんにちは、マノッジさん。お元気ですか?)」とカタコトのネパール語で話しかけると
「サンチャイ(元気ですよ)」と答えてくれたマノッジ先生。久しぶりの再会です。
…とはいっても、最初に訪れたのはもともと学校があった場所とは別の仮校舎。
マノッジ先生をはじめ、その時に勤務していた先生たちに地震後の学校の状況について話を聞きました。
もともとあった校舎は地震による倒壊は免れたものの、建物に大きくヒビが入り、現在はトタンで作った仮校舎で授業をしています。仮校舎であることを除けば、普段と変わらないようにも見えましたが、8割の生徒の家が地震の被害にあい、親せきの家などに避難しているそうです。また、山あいにある地域のため、地震のあとに地滑りも起こったことで、この地域を離れる人々も多く、地震前と比べて生徒数は約6割に減っているとのこと。


マノッジ先生によると、学校にPCや液晶モニターなどを導入して、これから設備を充実させていこうとしていた矢先の地震。仮校舎には電源がないので、敷地内にはこうした機材もそのまま置かれていました。
訪問したときには笑顔を見せてくれたマノッジ先生でしたが、今後のことを聞くと、
「仮校舎での授業は6ヶ月間の予定です。その後はこの土地で再開するのか、新しい場所に移転するかになるだろうけれど、政府の方針(注4)が決まっていないので先行きがわからないんですよ。」と。そう言って肩を落とすマノッジ先生にかけられる言葉もなく、その日は「案内してくれてありがとうございました」とお礼を言うしかできずに帰りました。
カトマンズ郊外の村ながら、政府からの十分な支援が届かず、雨除けのテントシートや水を配布したデシェ村。7月初めの天気のよい日、「デシェ村とDEWATSを見せてもらいたい」とお願いして、DEWATS建設の現場監督をしていたラングーと、緊急支援物資を運びずっと村の状況を見てきたウジャールに、デシェ村まで連れてきてもらいました。
ネワールの人たちが住むデシェ村。各地でネワール建築の建物が大きな被害を受けていますが、ここでも昔ながらの家は大きく損壊していて、テントやトタン板を使った仮設住宅に住んでいる人たちも見られました。また、比較的新しい家でも内部が壊れていて住めなくなっている家もありました。
DEWATSにたどり着くと、ラングーがさっそくDEWATSを歩き回って破損状況をチェック。地震によって破損した箇所が大きくなってきているとのこと。今のままでもDEWATSに流れ込んだ家庭排水はある程度はキレイになりますが、修繕しなければその能力を最大限に発揮することはできません。

その後、家庭排水をDEWATSにつなぐパイプラインに沿って村を歩きましたが、パイプラインもところどころ壊れています。
「パイプラインから水が漏れてて、臭いがひどいんだけど!」という村の人も。
その後も村を歩き回っていて、ふと(こういうことを私たちに言うということは、村の人たちによるDEWATS全体の破損状況のチェックはまだ?地震後で当然かもしれないけど。)と思い、
「ねえ、ウジャールさん、村の人たちは破損の状況をチェックしたのかな。これまでに「破損の状況を●●さんがチェックした」とかそんな話を村の人たちから聞いたことある?何か知ってます?」と聞いてみると、
「うーん、具体的な話は聞いてない。DEWATSのメンテナンス担当者を決めて、その人を中心にやっていこうとしていたんだけど、そんな時に地震が来て。その後は自分の生活を立て直すのに必死だったからね。」と、ある意味で予想していた答えが返ってきました。
2月に竣工式をおこない、デシェの人たちに引き渡したDEWATS。自分たちの手で本格稼働・運用し始めた、そんな間もないころに起こった地震。
地震から自分たちの生活を立て直すことで精一杯で、DEWATSの修理に目を向けられていなかったように見えたデシェ村の人たちではありますが、数日たって、ソムニード・ネパールのスタッフが管理組合メンバーから呼び出されて修理について相談を受けるようになりました。
“自分たちのDEWATS”を復活させるために、いつ、どこで誰が何をやるか?コストはいくらかかるのか?そのお金はどこから調達してくるのか?そんな彼ら自身のアクションプランを作って実行する…という私の理想。ではありますが、「「工事にかかる費用をソムニードからも出してもらえないだろうか」なんて発言がいきなり飛び出してきたよ…」というスタッフからの報告(現実)の前では、私の理想などいとも簡単に吹き飛んでしまう。
本格運用が始まり、村人たちの手で維持・管理を始めようとしたところでの、“重い”課題をどうデシェの人たちと乗り越えていくか。いきなりの正念場です。
マノッジ先生の学校やデシェ村がどうなるのか、再開したプロジェクトがどう動くのか…については、次回以降のプロジェクト通信でお伝えしたいと思います。乞うご期待!
※注
注1 私:本通信の3代目語り手の田中十紀恵。6月中旬に関西オフィス→ネパールオフィスに移動。覚えたてのネパール語を嬉しがって披露すると、ネパール人スタッフたちが練習に付き合ってくれるものの、彼らの話すネパール語に全く返答できず、結局はジェスチャーで乗り切る日々。
注2 和田:ムラのミライ設立者の和田信明。過去の通信をお読みの方にはおなじみの名ファシリテーター。日本に一時帰国中であるが、右も左もわからない筆者にメール、スカイプとあらゆる手段でネパールから追いかけられる日々。
注3 ディベンドラ、ウジャール、ラングー:ムラのミライの現地パートナー、ソムニード・ネパールのスタッフたち。
注4 マノッジ先生の働く学校は公立学校。
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| ある郡からA郡への視察研修(2014年) |
5月下旬から6月上旬にかけて、記録的な猛暑に苦しめられた、事業地のアンドラ・プラデッシュ州。6月も中旬を迎えると、雨がポツリポツリと降り始め、暑い暑い暑い夏の終わりがやっと近づいてきた、雨季の到来に向けて、村人たちは植林や農業の準備で忙しい。
1.植林計画
2. さぁ、今年も始めるべ、オラたちの流域保全
3.農業改善は?
4.来週、来週、また来週
5.オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに
前回のよもやま通信で、村人たちの奮闘をお伝えした植林計画づくり。
「この畑は東西の長さが25メートルだから、この縮図にすると、、、」
と、初めての作業に戸惑いながらも、一目で自分の植林する土地がわかるようにと、自分の畑の縮図を書き上げた村人たち。そして、その縮図のなかに、食料になる果実が採れる木、家畜のえさになる木、料理に使う薪として使える木、薬をつくるために必要な木、木材として利用出来る木など、それぞれ用途の違う木をバランス良く育てられるように植林計画をつくっていく。計画づくりのまとめの段階で、植林活動において長年の経験をもつラマさんによる研修が各村で行われた。
炎天下の中を山の上まで進む村人とスタッフたち。縮図に書かれた土地の大きさが正しいかを再確認しながら、計画づくりのアドバイスを行うラマさん。そして、その横でラマさんのアドバイスに熱心に耳を傾けながら、アナンタギリ村の村人たちを助けるのは、ポガダヴァリ村(以下P村)の指導員パドマとチャンドラヤ。
2012年からこのアナンタギリ村で流域管理の研修を行ってきたP村の指導員たちは、アナンタギリ村の村人たちからの信頼は厚い。マンゴー、カシューナッツ、ライム、チークなど、植林する木がどれくらいの大きさまで成長するかを確かめながら、何の木を、どこに、どれくらいの間隔で植えるかを計画し、縮図に落とし込んでいく。声を張り上げるラマさんの横で、ノートをとり、縮図を見直して、アナンタギリの村人をサポートするパドマ。その様子を見て、筆者はふと気付いた。『そういえば、おれは今日なんもしていない。』いくら小僧とはいえ、村に行って何もすることがないというのは恥ずかしい。最近でいえば、石垣などの構造物をチェックしに行ったり、縮図の書き方を教えたり、苗木をする上で妨害になる岩や切り株など、村人が見落としていればそれを伝えたり、、、何かしら仕事はある。
しかし、この研修でその役割を担っていたのは指導員のパドマとチャンドラヤだった。とはいえ、彼女たちもラマさんの植林研修に参加するのはこれが初めてで、事前に打合せをしていたわけでない。それでも、自分たちが隣村のアナンタギリの人たちを引っ張っていく。スタッフのラトナでも、スーリーでもなく、村人のパドマが、チャンドラヤが、隣村の村人たちに、縮図の書き方を教えて、植林計画づくりをサポートしている。何もすることがないことが少し恥ずかしい気持ちになるのと同時に、スタッフ以上の働きを見せる指導員が頼もしかった。そして、ムラのミライ一行は、指導員の二人に任せて、その場を去った。
こうして、植林に石垣や堰堤などの構造物と、流域を守るための今年のアクションプランが出来上がった。今まで何度もアクションプランをつくり、そして周辺の村に教えてきたP村とブータラグダ村(以下B村)はもちろんのこと、P村の指導員から指導を受けたアナンタギリ村も、植林計画に少しだけ修正点があるだけで、ほとんど問題ない。他の村のアクションプランも前回と比べて上達している。
そして、村人たちは石垣や堰堤の設置作業をはじめ、植林のための穴を掘り始めた。プロジェクトが終了する8月までの期間、村人たちは農作業に並行して、アクションプランに基づいた保水土対策を進めていく。
村全体で流域保全を実践する村人たちは、世帯単位での農業改善にも取組んでいる。
一昨年、昨年と実践を開始したB村とP村に続き、今年からは4か村14世帯が新たにミミズたい肥づくりへの挑戦がはじまった。1月にミミズたい肥づくりの先輩農家の研修を経て(よもやま通信18号参照)、たい肥小屋をつくり、ミミズや牛糞などを調達し、たい肥を作り始めたのは3月末。それから約2カ月が過ぎ、雨期を前にしてどの村でもミミズたい肥の出来上がりは順調に進んでいる。
と、言いたいところだったが、初めてのたい肥づくりで全てがそう上手く進むわけはない。最初の1か月が経った頃は、セメント容器の土を掘り返すと何匹ものミミズが元気に動き回っていた。牛糞や葉っぱを混ぜた土がどんどんサラサラになって、たい肥づくりは順調に進んでいると思えた。
しかし、6月に入って、スタッフ達がパンドラマヌグダ村とバルダグダ村を訪れると、8名のうち5名の農家たちの容器は、牛糞の塊で埋め尽くされていた。そこにミミズはいない。
「ミミズがみんな死んじまったよ。」
牛糞を水に溶かさず、ドカドカと追加投入し続けた結果、それが固まって容器の中が全く空気のない状態になってしまったのだ。
早く代わりのミミズを、と思っても、同じ村で順調にたい肥が出来上がっている農家たちさえ、まだ他の村人に提供するほど多くのミミズは育っていない。それに、農家たちがたい肥についてしっかり理解していない限り、ミミズを調達してきてもまた同じ失敗を繰り返してしまうに違いない。
スタッフ達の間では、先輩農家のチランジービーに、定期的にアドバイスに来てもらうように頼んだ方が良いという話が出た。隣村のチランジービーなら、パンドラマヌグダ村、バルダグダ村に通うのもそう遠くないし、販売するのに十分な量のミミズを持っている。
数日後、ブータラグダ村を訪れた筆者達は、チランジービーに事情を話した。
「パンドラマヌグダ村のたい肥なんだけど、ミミズが全部死んじゃって、、、」
「あぁ、それなら知ってるよ。ヤツらの方からたい肥づくりが上手くいかないから見てくれって言ってきたよ。」
筆者たちが、チランジービーに事情を話す前に、彼らは自分たちでチランジービーにアプローチしていたのだ。そう、スタッフが知っている以上に、周辺の村人たちはチランジービーの農業技術をわかっている。まだまだ始まったばかりの農業改善だが、チランジービーのような先輩農家の存在は最大の安心材料だ。これから、彼がどのようにパンドラマヌグダ村やバルダグダ村の人たちにアドバイスを与えていくのか楽しみである。
農業改善の広がりは、ミミズたい肥だけでない。今年から新たなに4か村17世帯の農家が、SRIと呼ばれる稲作方法に挑戦する。ポガダヴァリ村では昨年、ブータラグダ村では昨年、一昨年と実践を行ったSRI。周辺の村の農家たちは、B村やP村の農家たちが一体何をしているのか気になっていた。このSRIでは、種もみを選んだうえで、従来の方法に比べて苗が若いうちに一本一本の苗を25センチほどの間隔で田植えする。苗が若いうちに田植えを行うことで、従来の稲作に比べて少量の水でも、稲が育つようになる。また、苗と苗の間を適切な距離をとって、等間隔に植えることで草取りも容易になるし、必要な種もみの量も抑えることができる。
しかしながら、まだ弱々しい苗を、しかも一本ずつ植える方法なんて、何本もの苗を束にして田んぼいっぱいに敷き詰める方法に慣れているこの地域の村人たちにとっては、とても考えられるものではなかっただろう。実際、B村のある農家は、最初に田植えをしたときに、周りの人に笑われたという。それが、日を追うごとにみるみる成長し、フタを空けてみれば周辺の村の農家たちが、「そのやりかたをオラにも教えてくれ。」と、話すようにさえなった。
こうして周辺の村の農家たちも、オラたちもSRIに挑戦したいと名乗り出てきた。もちろん、これまで長年やってきた農業をいますぐ全て変えるわけではない。それでも、各村から何人かが、自分の田んぼの一部をモデルとして使い、新たな挑戦をすることで、今回は挑戦を見送った同じ村の農家たちにとってもSRIを間近で観察するチャンスになる。そして、SRIに挑戦した農家たちの結果を見て、来年以降、新たに挑戦を決意する農家たちも生まれてくるだろう。いまは10人以上の農家がSRIを実践しているブータラグダ村も、2年前は4人の農家からSRIへの挑戦が始まった。新規参入の村々でも、この第一歩が踏み出されたのである。
流域管理事業を進めるなかで、B村やP村の農家たちがSRIを積極的に取り入れるようになったのは、化学肥料の使用を抑え、村の資源を有効活用し、土にやさしい農業をおこなっていくことが、流域を守る活動の一環だと気が付いたからである。そして、土にやさしい農業を継続し、その方法を、流域を共有する周辺の村に広めていくこともまた、流域管理の活動なのだ。
だからこそ、この流域管理の事業でも、各村の流域管理委員会に対して、SRIの道具をサポートしている。必要な道具は、雄牛につなげて田んぼを耕すための耕耘器と、苗を植える位置(25センチの間隔)の印をつけるための道具(マーカー)、そして、除草機の3種類。エンジン式ではないので、燃料も必要なく、特に高額な道具ではない。
シンプルな道具ではあるものの、ムラのミライが活動している村では、これらの耕作道具を手に入れるのが難しいため、村人たちに変わってスタッフが近隣の街からこれらの道具を調達しなければならなかった。キョーコさんからのアドバイスももらい、筆者とスーリーは早速、スリカクラム市の農業用具屋に向かった。これは5月の最初の週の話である。
「2年前にこちらでSRIの、耕耘器と、マーカーと、除草機を購入しました。この3つの道具が4セット欲しいんですが。」
「いまは在庫がないけど、3、4日後には用意できますよ。」
絶対に3、4日で用意が出来るはずはないとは思ったものの『3、4日で用意できると、そこまで自信を持って言い切るということは、少なくともこの道具をつくれる職人が在籍しているか、取寄せ先がわかっているんだろう。2週間もすれば用意ができるに違いない。』と、筆者は高を括っていた。注文を済ませて、しばらく相手からの連絡を待つ。
3日後、先方からの連絡はない。これは予想通りだ。
4日後、スーリーが電話をかけると、先方は電話に出ない。
さすがに電話を無視されるのはまずい兆候だと、再びスリカクラム市を訪れる筆者とスーリー。しかし、店のスタッフは悪気もなく、平然と取寄せ先の店に電話をかけて、「今週中には用意ができる。」と言った。
それ以降、スーリーが電話をしても、電話に出ないか『後でかけ直す』といった具合で、まともな対応をしてくれない。結局、最初に予想した2週間を過ぎても、用意される気配がないまま、筆者は5月の下旬から日本へ一時帰国した。
そして、2週間後、筆者がインドに戻ったころ、SRI農具はまだ調達できていなかった。いよいよ雨も降り始め、もうすぐ本格的な雨季が来る。種まきの時期は刻一刻とせまっている。このままでは今年の稲作に間に合わなくなってしまう。
「どうやら、この店にはこれ以上期待できない。なんとかして他の方法を探すしかない。」
と、筆者とスーリーは他にSRI農具を売っている店を探すことを決意した。別の街の農業用具屋に行き、SRIの道具について尋ね、スリカクラム市の農業研究所の研究員に事情に話し、とにかくSRIの道具を調達するために必死に駆け回った。しかし、どこで誰に聞いても、
「それなら、スリカクラムの誰々が取り扱っているよ。」
と、現在注文を出している店の名前を出すだけだった。どうやら近隣の地域でSRIの道具を取り扱っている店はここだけらしい。結局、筆者たちはまた店を訪ね、催促するほかに道はなかった。
「最初に3,4日で用意できると言ってから、もう1カ月も経っています。用意できないなら用意できないと言ってください。」
「用意できるが、おれたちはいま忙しいんだ。来週までには用意するから。」
と、またどこかで聞いたセリフを話す店主。店主曰く、スリカクラム市周辺の農家たちで現在もSRIを実践している農家は非常に少ないので、道具を調達するのが大変に困難とのこと。代わりに農業機械の購入には政府から補助金の額も大きいため、スリカクラム県に住む農家たちの多くは、高額な農業機械を注文しに店を訪れ、店もその対応に追われている。
昨年、乾地農業の視察研修でB村とP村の農家たちが訪れたタミル・ナードゥ州でも、政府の補助金による機械を使った大規模な農業が行われていた。同時に、自然資源を活用して、土地に適した農業を実践している農家にも出会った。研修に参加した農家たちが選んだのは後者であり、SRIの稲作方法はまさにその実践である。高額な機械の導入は、いくら政府の補助金が出るとはいえ、農家個人でかなりの額を自己負担する必要がありリスクも大きい。購入した後の燃料やメンテナンス・コストもかかる。
村の農家たちにとって、そういった高額の機械は必要ない。SRIを取り入れることで、種もみのコストを減らし、高額な化学肥料や農薬の使用をやめて、村の資源から作るミミズたい肥やバイオ農薬(葉っぱを発酵させてつくる農薬)に切り替え、稲作に必要なコストは、工夫次第でいくらでも改善することができる。B村の農家も、P村の農家も、これでかなりのコスト減らし、収穫量を増やした。B村とP村の農家に刺激を受けて、新規参入村でも、SRIが始まろうとしているのに、、、その農具が調達できない。筆者たちスタッフは、ただただ催促を続けた。
そして、6月某日、ついにSRI農具が届いた。注文から約一か月半が経過していた。
店までSRI農具を取りに行ったスーリー曰く、店主が『あんたたちの執念には根負けした。』と話していたらしい。なにはともあれ、これで農具の調達が雨季に間に合った。後はB村とP村の先輩農家たちから、SRIの研修を受ければ、新規参入村の農家たちも実践に移れる。
流域保全のための石垣や堰堤などの構造物づくりに、植林活動、そして農業改善、それから指導員達は周辺の村での研修と、大忙しのB村の村人たち。
『安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村』
という、彼らの描いたグランド・デザインの達成に向けて活動を続ける。
グランド・デザインの研修の一環で、村人が自分自身の夢について語った。ある人の夢は、地元の学校の先生になること、ある人の夢は、耕作用の牛を買うこと、ある人の夢は、子どもに質の良い教育を与えること、またある人の夢は、、、
ひょっとすると、かつてのB村の村人たちであれば、これらの夢が実現できる夢だなんて、思わなかっただろう。だけどいまは、山に土が戻り、3月でもまだ村には水が残るようになった。自分たちで農業を計画し、村の自然資源を有効活用することで、少ない投資で、多くの種類の作物がとれるようになった。高利貸しではなく、村の中で資金を融通するために、各世帯から毎月少しずつ積み立てをして必要時にお金を借りる仕組みもできた。
こうして着実に近づく『オラたちの村』のビジョンのなかに、オラのアタシの、それぞれの夢がある。そして、その個人の夢の実現に向けても、すでに取り掛かっている人たちがいる。
この流域管理プロジェクトは、2015年8月で終了を迎える。プロジェクトの第1フェーズ※から、ずっと活動を続けてきたB村。植林や農業改善と行った活動を継続する一方で、このプロジェクトの振返りを行うステージにも突入している。
6月末には、プロジェクトのパートナーであるJICAから、最終評価チームもやってくる。その最終評価を前に、村人たちが集まり、どのようにしてB村の軌跡を伝えるかという話し合いが行われた。ラマラジュさんとキョーコさんが見守る。
「劇のように見せるのはどうだろう?」
と言ったのは、指導員としても活躍するラメッシュだった。そして、
『せっかくの機会だから、他の村の人たちにもオラたちの軌跡を紹介したい』
と、JICAチームの訪問に合わせて、新旧8か村の村人たちをB村に招待することを決めた。リハーサルでは、指導員をはじめて若い村人たちが、少し恥ずかしそうに発表している様子が見られた。
そして、いよいよブータラグダ村での一日が迫る。プロジェクトの評価に来るJICAチームにとって、これまで共に活動してきたムラのミライにとって、そして、ブータラグダ村と同じようにプロジェクト開始当初から活動を続けてきた村にとって、ブータラグダ村から流域管理技術を学んだ新規参入の村にとって、そして、ブータラグダ村の村人たち自身にとって、この一日はどのような一日になるのだろうか?
この続きは、次回のよもやまで乞うご期待。
ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
筆者:實方博章。現場で修行中。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るフィールドスタッフ。
ラトナ:オバチャン相手に研修経験豊富なフィールドスタッフ。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
スリカクラム市:ムラのミライの事業地があるスリカクラム県の県庁所在地。
JICA:国際協力機構。本事業のパートナー。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。5月下旬から6月上旬に来日し、高山、東京、名古屋でセミナーや研修を行った。