2023年2月21日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(7)

インタビュー修行は順調だったものの、それが現場ですぐに活かせるかというとそうは簡単にはいきません。自分で計画し、相手にお願いしてさせてもらうインタビューは、いわば事前にそれなりに聞くことを想定し、自分が聞きたいことを質問していくのですから、慣れてくればそれは順調にいくわけです。しかし、現場で、その場で、しかもいつも違う状況の中で、となると話は違います。こちらが望むようなおあつらえ向きの状況、そんなものがあれば、の話ですが、などありようはずもありません。

 

その場で確かめられることは、その場で確かめる

しかし、そんな状態からのブレークスルーのようなものが、ある日訪れました。ちょうど乾季の暑い日だったことを覚えています。ある村で、1人の農民の乾季の「困りごと」についての聞き取りを行なっていた時のことです。乾季の農民、特に「土地なし」の農民にとっては、仕事がないというのが「困りごと」のパターンです。この時も、私は彼の話を聞く前から、「仕事がない」、では「何か仕事を生み出すプログラムを考えなければいけませんね」などという埒もない想定問答を考えながら対話を試みました。

私:今、何に困ってますか。
彼:農繁期ではないので、仕事がないです。
私:なるほど。それはいけませんね。で、今は何をしているのですか。
彼:唐辛子を作っています。
私:えっ?(彼は、「土地なし」農民じゃなかったっけ)唐辛子って、どこで作っているのですか?
彼:ほら、あそこ。斜面の畑。
私:(なんと、あそこは彼の畑?)
 

この話は、「途上国の人々との話し方」にも紹介しています。その場で確かめられることは、その場で確かめる、ということが漸く体に落とし込めてきた、そんな感触を得た最初の例なので私の記憶に残ったやりとりだったのでしょう。このような問いかけができると、そのあと、「いつから作っているのですか」、「唐辛子の前は何を作っていたのですか」、「収穫はいつですか」、「収穫後は誰に売るのですか」など色々聞けますね。「農繁期ではないので、仕事がないです」に対して、「それは困りましたね、どんな支援が必要ですか」と返してしまえば、彼との対話はそこでお終い。対話が終わってしまえば、彼について何も知ることができず、つまるところは彼のリアリティーに迫ることはできず、十年一日のごとく同じようなプログラムを続けることになります。


支援という名の視野狭窄

しかしこれ以上に私に学びを与え、その後の現場でのパフォーマンスを向上させるきっかけを与えてくれたのは、「ほら、あそこ。斜面の畑」です。私にとって、これはちょっと衝撃的でした。なぜなら、それまで私は村に行って、村のことを観察したことがなかったのです。もっと端的に言うなら、農民相手のプログラムをやっているのに、農業の現場そのものをじっくりと観察したことがなかったのです。ちゃんと観察していたら、このやり取りももっと違ったものになっていたでしょう。例えば、

私:いやー、暑いですね。今年の夏も焼けるような暑さですね。
彼:まったくだ。
私:ところで、あの丘の斜面の畑、あれはどなたの畑ですか。
彼:あぁ、あれか。あれは俺んだ。
私:そうなんですね。今は何を作っているんですか。
彼:唐辛子さ。
私:いつから作っているんですか。

という具合に、最初から「相手の話を聞く」ということができるようになります。言ってみれば簡単な話です。しかし、この簡単なことに何年も気づかなかったのですから、お恥ずかしい話です。これも、それまでは常にプログラムありきで村に行っていたからでしょう。支援という名の視野狭窄です。

 

世界は話のネタに満ちている

こうして、まず観察する、それも農民に会って話を聞くまでに、周りをよく観察しておく、そして話を聞く相手のこともよく観察するということを意識的にやるように心がけるようになりました。すると、なんと世界は話のネタに満ちているではありませんか。というより、観察するだけで、自分がまったく知らないことをどれだけ見過ごしてきたのか、よく分かりました。あそこに植えているのは、ソルガムだな、ソルガムはいつ頃植えていつ頃収穫するのだろうか。あ、この人が持っているナタはどこで買ったのだろうか、どんな作業に使うのだろうか、など、こちらが学ぶべき教材が、答を教えてくれる人とともに私をいつも待ち受けていたのだということをやっと理解したのです。

 

これですぐにやっていることが変わったかというと、そう簡単にはいきませんでしたが、このことに気づくと、なんだか私の視界を覆っていた靄が、少し晴れたようなきがしてきました。なんだ、未来は明るいじゃないか、とまではまだいきませんが。

 

この続きは、また次回ということで。

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)



2023年2月1日水曜日

私のメタファシリテーション活用法

メタファシリテーションを学び始めてから10年以上が経ちました。仕事や地域活動、身近な人とのコミュニケーションなど様々な場面で助けられてきましたが、中でもメタファシリテーションを学んだおかげで、家族関係が明らかによくなったというのは私にとって一番大きなことです。今回は、私がどんなふうにメタファシリテーションを取り入れて、その結果、家族関係が良くなっていったかについて1つの例をお話したいと思います。私のやり方がみなさんにも効果的なものかはわかりませんが、あくまで私個人のストーリーとしてお読みいただければと思います。

いつの時期かはっきり覚えていないのですが、学び始めて2年くらい経った頃だったでしょうか。帰りが遅いのに連絡がなく、何度携帯に電話をしても出ない夫に対してイライラしていた時のことです。1人で待っていて、不安が募り、色々な妄想が私の頭の中を忙しく駆け巡っていました。「どうして帰ってこないし、電話も出ないんだろう」から始まり、「もし何かよくないことがあったらどうしよう」「私をこんなに心配させるなんて、最低だ」「わざと連絡しないで私を困らせようとしているんじゃないか」「私への嫌がらせだ」「今回だけじゃない、そういえば前には〇〇のことで嫌な思いをさせられたんだ」と思考はどんどんエスカレートして、だんだん夫への怒りも湧いてきました。


そうした中でメタファシリテーション講座で、感情、考え、事実という現実を構成する3つの要素をまずは区別できるようになることがメタファシリテーションの第一歩であると学んだことを思い出し、今の状況を整理してみることにしました。起こっていることをメタ的に観察したのだと思います。「事実」は夫が帰ってこないということ、そして4回電話しても電話に出ないということ。その他の部分は自分が作り出した「考え」だと気づきました。「事実」と「考え」を頭の中で整理すると、いかに自分の作り出した「考え」が自分の不安や怒りを煽っていたかがわかり、それだけでだいぶ冷静になることができました。

そして、過去の同じようなケースでのやり取りを振り返ってみると、やっと夫から電話がかかってきた時に、「わざと連絡しなかったんでしょ!」など自分が作り出した「考え」をぶつけていたということに気がつきました。夫はそんな時ムッとして謝ることはありませんでした。私としては、こんなに嫌な思いをさせたのに、謝りもしないで!と心の中で思っていましたが、「考え」の部分は私が自分で作り出したもので、当然夫と共有していないので、理解できなかったのだと思います。


その後、私は不安になってきた時、怒りを感じた時などには、何が「事実」で何が「考え」かを意識し、「事実」に意識を集中するようにしました。それでも「考え」がしつこく浮かんできたら、その考えに対して、自分で事実質問をしてみたりもしました。もう1つ徹底したのが、相手とのやり取りの中で「考え」は持ち出さないということでした。最初は「考え」にどっぷり浸かりきって、あ、これは自分が作り出した考えだ!と気づくのに時間がかかったりもしていましたが、だんだんと自然にできるようになってきました。その結果、何と言っても自分が作り出す「考え」に振り回されることがなくなって本当に楽になりましたし、楽になったことで夫との関係が良くなったと感じています。

久保田絢(ムラのミライ理事/メタファシリテーション認定トレーナー)

 

 


 

 

2023年1月17日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(6)

相手のことを知らなかったという自覚から

靄の中でモヤモヤしていた私が何を決心してやったかというと、インタビューです。私は「支援している」相手を知らないで「支援している」のではないか、恥ずかしながら、そして遅まきながら気付きました。で、相手のことを少しでも知ろうと思ったわけです。

ではどうするか。私はラマに頼んで、6つの村を選んでもらい(当時パタパトナム郡を含む3つの行政郡を対象としていたので、それぞれの郡から村を2つずつ)、さらに村ごとに1人インタビューの相手を選んでもらいました。一応ジェンダーバランスも考えて男女それぞれ3人ずつ。これを年に一回、3年間続けました。今思えば、この6人の方達もよく付き合っていただけたものです。私が曲がりなりにも現在もこの仕事を続けられているのは、紛れもなく、彼らのおかげです。


忘れもしません。最初にインタビューしたのは、山際にある小さなアウトカーストの村の女性でした。何を聞いたかは、ほとんど覚えていませんが、この時の私は謙虚でした。まあ、そうならざるを得ません。実は何も知らなかったという自覚があってのこのインタビューでしたから。まず、名を名乗り、「お話を伺ってよろしいですか」と相手の了解をとりました。彼女は少し驚いたようで、未だかって外から来た「偉い人」にこんな態度を取られたことはなかったからです。とりあえず、「話を聞いてくれていいよ」と快く(と私は解釈しました)承知してくれました。場所は、彼女の家の土間。呉座のようなものが敷いてあったでしょうか。CSSSのスタッフが通訳をしてくれました。

虚心坦懐に聞く、確かめる

私がこの時心に決めていたことは、知らないことは虚心坦懐に聞くこと。聞いたことがある程度で知っているつもりにならないこと。曖昧なところは、相手が不快にならない限りははっきりするまで確かめること。こんなところでしょうか。で、「まずはご家族のことから聞かせてください」というような調子で始めたと記憶しています。

この時、私はのちにメタファシリテーションと呼ばれるようになる手法の核のようなものに気づいたのです。それはこんなことでした。まず私はこの女性の家族の構成を聞きました。夫、息子2人、娘1人、夫の両親はもう亡くなっている、自分の両親も亡くなっている(彼女はよその村から嫁いできた)、息子のうち長男はビシャカパトナムに稼ぎに出ている、2番目の息子は隣町で勉強している、娘はよその村に嫁いでいる、とこんな具合に。

なるほど、では今はこの家にいるのは夫と自分の2人か、と思いながら、次に特に考えもなしに、偶然に、いや後から思えば幸運にも、「で、今ここに住んでいるご家族はお二人ですか」と尋ねたのです。それに対する答えはなんと「住んでる家族は8人です」。思わず「えっ?」となりますよね。実は、夫の弟とその妻、子ども4人が一緒に住んでいたのです。この時は、偶然の問いが私の思い込みをひっくり返してくれました。

危ない、危ない、ものごとはちゃんと確かめないといけないな、とこの時はそう思ったはずです。目の前の状況を、確実に把握しておくこと。これがそれからのインタビューの方針になったかというと、そうは簡単にはいきません。そういうことが、自然にできてくるようになるまでには、ひたすら経験を積み重ねる他にはありません。と、聞いた風なことを言っていますが、私の場合は本当にそうでした。

通訳を介する時間が生んだ質問の組み立て

こうして私のインタビュー修行と言いますか、そんなものが始まりました。当時はインタビューをすることより少しでも自分が関わる人々のことを知ろうとするのが目的だったわけですが、結果として人に話を聞く技術のようなものをだんだん会得する場になりました。

この私の「インタビュー修行時代」で、怪我の功名?とでも言えるようなこともありました。インドのこの地域の主要な言語は、テルグ語です。しかし私のテルグ語は、簡単な会話を理解する程度で、とてもインタビューができるレベルのものではありません。ということで、前述のようにCSSSのスタッフに通訳(英語−テルグ語)を頼んでいたのですが、この私の質問がテルグ語に訳されている間に、次の質問を考えることができるという思いがけない利点があったのです。


相手の話をスルーしていないか、ちゃんと知らないことは落とすことなく聞いているか、常にそんなことを確認しながら次の質問を考えなければならなかった当時の私には、この通訳が入ることでのタイムラグはありがたいものでした。

インタビュー相手が喜んだわけ

ところで、この最初のインタビュー、終わった時に相手の女性から思いがけない反応がありました。終わった時点で、私は長時間(1時間強といったところでしたかね)付き合っていただいたお礼を述べたのですが、だいぶ立ち入ったことまで聞いた自覚があったので少し恐縮もしていたのです。ところが、彼女は「話を聞いてくれて嬉しかった」と言うではありませんか。その晴れやかな表情を見ても、まんざらそれが社交辞令とは思えませんでした。

後から考えれば、それは私が、彼女が確実に答えられることしか聞いていなかったからだとしか思えません。つまり彼女の生活の具体的なことしか聞かなかった、そして少しでも分からない事があると必ずそのことについて補足の質問をした、そのことが自分のことにとても関心を持って話を聞いてもらえたと印象された、そんなことではなかったでしょうか。

立ち入ったことを聞いてしまったのに、かえって相手からは喜ばれた例としては、別の村の男性に話を聞いた時にもありました。彼は郡の議会の議員に立候補して選挙運動をした時、その選挙資金を借金で賄ったのでしたが、その借金の話を聞いていくと、次から次へとお金を借りていた事が判りました。誰からいくら借りていたのか、彼自身はっきりと分かっていなかったのです。ですから、私が聞くことによってその全体像がはっきりと判り、彼は喜んだのです。

本当は喜ぶどころではないはずですが、呑気ですね。でも、この村人たちの呑気さ、大らかさに接することができるのが、私にとってはこの仕事をする大きな魅力の一つなのです。何せ、普段の生活ではクヨクヨする事が多いですからね。

次回は、こんなインタビューを続けて、何が変わったのかということをお話しします。 

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)




 

2023年1月11日水曜日

子どもの世界に入って話を聴く

新年明けましておめでとうございます。ムラのミライスタッフの山岡です。2022年は、メルマガやブログを読んで下さりありがとうございました。本年もムラのミライをどうぞよろしくお願いいたします。

2023年4月で、ムラのミライは設立30周年を迎えます。今年は、国際協力の分野に加え、新たに子ども支援や職場、医療・福祉分野での研修や報告会を企画しています。皆様とお目にかかれる機会が増えることを、今からとても楽しみにしています。

子ども支援者へのプログラムスタート

2022年10月から兵庫県の子ども支援者を対象として「子どもの話を聴く技術 体験プログラム」を実施しています。11月には、メタファシリテーション体験セミナー受講後の参加者の実践や疑問をヒアリングしました。今回は、フリーで子ども支援の活動に携わっているAさんの現場でのお話をご紹介します。

Aさんのお話を聞いたのは、一緒に体験プログラムを担当しているすずめさん(こどもサポートステーション・たねとしずく代表 大和陽子さんの呼び名※)で、私は記録を担当しました。Aさんとすずめさんのやりとりのなかで、特に印象に残っている2つのお話を皆さんにもご紹介したいと思います。
 

聞きたいことを脇に置いて、まず子どもの話を聴く

Aさん(子ども支援者):調味料づくりのワークショップに参加した小学生と作業しながら、この作業が生活とリンクしているのを知って欲しくて、相手の生活の事を意識して聞きました。
ずずめさん:どんなことを聞きましたか?
Aさん:「何か調味料を手作りしたことはある?」、「それは誰とつくったの?」という感じで聞きました。
すずめさん:その子は、醤油絞りをしたことがあったのですか?
Aさん:はい、フリースクールでやったことがあるそうで、すでにどんな作業があるか知っていました。
すずめさん:他には、どんな質問をしましたか?
Aさん:「家でも醤油絞りをしてみた?」とか。そうそう、私が聞きたかったこと(普段の暮ら)を聞く前に、以前だったら「どうでもいい」と思っていた話がたくさんできたんです!「今日は何を食べたの?」「ここには何に乗ってきたの?」「車には何人乗ってたの?」と事実で聞けたのです。
「私が聞きたいこと」をまず脇において、子どもの話をじっくり聞く時間が大切なんだなと感じました。

Aさんのお話を聞き、これまでもこうして子どもの話を丁寧に聞いてこられた経験があって、事実質問を知り細かく聞くことでより共通理解を深めることができたんだなと感じました。

Aさんに質問がないか聞いたところ、「空想の話は事実ではないから、どうやって話を聞けばいいんですか」と質問をして下さいました。

子どもの世界に入って話を聴くことが安心感に

Aさん:低学年で想像の世界が大きい子だと、空想の話ばかりしてきます。そういう子にはどう話を聞いたらいいでしょうか。
すずめさん:話を「なぁに?」と聞くことが子どもの安心感に繋がります。『Aさんだったら、空想の話を聞いてくれる』ということが安心感になる。子どもは発達段階に応じて現実の話をする日がくるし、相手が大人でも想像の話を聞く存在は必要だと思います。
事実質問を使えば、子どもにとっては答えやすく、会話の練習にもなります。支援者は、子どもから空想の答えが返ってきたら、それについていつ、どこ、誰とさらに聞き、キャッチボールを繰り返します。子どもの話したい世界に、大人が入っていく。いつ、誰と質問をすることはあくまで手段で、目的は子どもとの信頼関係をつくることです。
Aさん:それはよく分かります。いつ、どこで、とかそれだけに捕らわれると手法だけになってしまって、「寄り添う」とか、「子どもの世界に入って聞く」という姿勢を忘れてしまいそうになります。
すずめさん:メタファシリテーションの目的は、信頼関係を築いて行動変容に導くことなので、Aさんの気付きがとても嬉しいです。
Aさん:その言葉を一番聞きたかったです。手法に陥るのが不安でした。何が不安かは分からなかったけど、今の言葉を聞いて安心しました。子どもの世界に自分が入って、事実質問をしてみるというのが納得できました。

お二人のやりとりを聞いて、Aさんが率直に事実質問への不安を聞かせて下さり、その疑問が晴れたことがとても嬉しかったです。

また、すずめさんの「子どもの世界に入って聞く」という言葉が、「子どもの目線で」や「対等に」と言った言葉よりも、ずっと分かりやすい表現で、私自身の学びにもなりました。

「子どもの話を聴く技術体験プログラム」活動報告会を開催

個別フォローアップでは、Aさん以外の参加者からも「子どもの話を聞けた話」や、「現場での課題」について聞くことができました。2023年3月に「子どもの話を聴く技術体験プログラム」活動報告会をオンラインで開催しますので、子ども支援者の方の気づきを皆さんにも聞いていただければ嬉しいです。

2023年も、子ども支援現場での研修を通して、子どもの話をじっくり聴ける大人が増え、「子どもが安心して自分の意見を言える場所」を増やしていきたいと思っています。本年も皆様のご理解・ご協力をいただければ幸いです。
(ムラのミライ 事務局長代行 山岡美翔

西宮での子育て支援プロジェクトでご一緒した大和陽子さんが、2022年、こどもサポートステーション・たねとしずくを設立されました。大和さんには、本プログラムの企画・運営にご協力いただいています。

2022年12月21日水曜日

メタファシリテーションのできるまで(5)

植林も、コミュニティーのニーズに応えるというプログラムも、そして識字教室も、目的がなかった、根拠がなかったと前回書きましたが、一体何がいけなかったのでしょうか。

何のための森づくり?設計がない植林プログラム

まず植林とは言うものの、このプログラムが終了した時点でそれぞれの村で全体としてどんな森を作るのかという設計がありませんでした。果たして水源涵養なのか、果樹園なのか、土壌流出を防ぐのか、木材を生産するのか、どの目的に照らしても中途半端なものでした。いずれにせよ、収入源となるはずの果樹も木材も、専門的にマンゴーやカシューなどの果樹を栽培している農家や、木材を育てている林業家に対抗できるはずもなく、つまり市場で商品価値のある作物を育てるだけの技術もなく、収入にはほとんど結びつきません。

「貧困」への対症療法的プログラム

二つ目のプログラムも、目的がはっきりしない、何を目指すのか、各受益者が、例えばヤギを飼育して売ってその売り上げから得る収益はなんなのか、灌漑池は本当に期待した面積の田んぼを灌漑できるのか、プログラムが終了した時にどうなっていたいのか、そのことにどのような根拠があるのか、考えたこともなくやみくもに始めてしまったというお粗末さでした。そもそも、目に見える「貧困」はあっても、当時は貧困とは何かという理解、洞察がまるでありませんでした。例えば、頭痛がすると言っている人に、その原因を調べることもなく頭痛薬を与えて何とかなるだろうと思っているヤブ医者のようなものです。実際には、そんなお医者さんはいないでしょうが。ヤギを売って数百ルピーを得て、それが一人一人の受益者にどんな効果を与えるのか、マイナスの家計がプラスになるのか、マイナスが少しマシなマイナスになるだけなのか、この売り上げが家計の何パーセントになるのか、ヤギを育てるコストはいくらなのか、そんなことも考えずにやっていたのです。


高揚感に満ちた日々に、もたげてきた疑念

灌漑用のため池も、井戸掘りも似たようなものです。水の需要と供給を正確に把握してやっていたわけでもなく、さらには水の保全活動と組み合わせてやっていたわけでもありません。このような村の資源、環境全体を視野に入れて活動できるようになるには、水利系の概念を知るまで後十年ほど年を待たねばなりませんでした。

識字教育も、今考えればいくつも欠点がありました。まずは目的の曖昧さ。何をどこまで教えて、どこで終了とするかがハッキリないまま始めています。そして、教育そのものの方法論がなかったこと。特に子どもたちの理解に合わせた方法論がなかったこと。そして何よりも、インストラクターたちに対する研修もなしに、実施したこと。当時の私に対してはツッコミどころだらけです。

しかしツッコミどころだらけだった私は、それでもそれほど自分たちがやっていることを全面的に肯定していたわけではありません。前回も書きましたが、これらのプログラムを実施するのは、そしてその現場に赴くのは実に高揚感に満ちた日々であったことは間違いありません。特に、田んぼの畦道を懐中電灯で照らしながら、村の夜間識字教室を見に行くときなど、この高揚感は一際大きかったものです。教室に当てられた村の家には、石油ランプしかなく、その灯火のもと石板に字を一生懸命書く子どもたちを見るのは感動的でした。その場でやたら感動していたのは、間違いなく私だけだったでしょうが。


ところが、そんな私にもときどき疑念のようなものがむくむくと頭をもたげてくる時がありました。村では、必ずと言っていいほど個人的なものを含んださまざまな要求をされました。そんな時は、一体いつまでこういう要求に応えなければならないのだろうという、ある種の恐怖を伴った疑念が湧きます。また、各プログラムにはさしたる目的も、それを検証する方法もなかったと述べましたが、それはある意味気楽なことではある反面、かえってそのことがいつまでこれを続ければいいのだろうかという疑念を生む土壌にもなっていました。普段は、なるべくそんなことを直視しないようにしていたのですが。

しかし直視しなくても翌年の予算は立てずにはいかないわけで、そのときこそ、どのプログラムを止めるのか続けるのかの判断をしなければなりません。それこそ、お金は無限にないどころか、元々雀の涙程度のものしか用意できなかったのですから。しかし、当時の私には、プログラムを何か止めるにせよ、どのように優先順位をつけていいかわかりません。それはそうですよね。そもそも、始める時に明確な目標、そしてそれが達成できたかどうかの指標もなかったのですから。ですから、何も止めることができずにそれぞれ予算を減らすとか(増やすという選択肢は当然ありませんでした)、そんなことでお茶を濁すしかありませんでした。

気がついてみると、相手のことははっきり見えず、なんだか靄がかかった状態で、1人で望まれもしないダンスを踊っているような、なんだか情けない話です。で、私はあることを決心し、実行しました。それは次回で。

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)

2022年12月19日月曜日

「ずっと痛いんです」 メタファシリテーションを医療の臨床現場で活かす

メタファシリテーション®を学んで、はや5年以上経過しようとしています。今回は、医療現場でメタファシリテーションをどのように使用しているかの事例についてご紹介したいと思います。

私は、医師が少ないへき地といわれるところで働いています。
都会のように病院に専門科(消化器内科とか循環器内科とか整形外科)が分かれていることは少ないので、外来ではさまざまな科にまたがる相談を受けます。その中でも多いのが、膝が痛い、腰が痛いなどの整形外科にかかわる相談です。

多くの患者さんはどこか痛いところがある時に「膝がずっと痛いんだよ」という言い方をします。そんな時に私は決まって「今、痛みがありますか?」と聞くようにしています。

ずっと」はメタファシリテーションでいう「一般的な言葉」なので、本当に事実かどうかはこの時点でわかりませんよね。
そこで私は「今、痛みがありますか?」という存在を聞くyes/noの事実質問をすることとで空中戦から地上戦にうつし、そこからさらに事実質問を使って症状を具体的に聞いていきます。

たとえばこんな感じです。

患者さん:右膝がずっと痛いんですよ
私:今座っていて体動かしていなくても痛みますか?
患者さん:それは痛くないです
私:最後に痛くなったのはいつ?
患者さん:今朝、畑でしゃがんた時に痛みました。しゃがめないんですよね
私:いつからしゃがんだ時に痛むようになったんですか?
患者さん:2ヶ月前からです
私:痛くなった時のこと覚えてますか?
患者さん:あ〜そういえば・・・。

実は私たちにとって、本当にずっと症状が続いているかどうかは、とても重要なことなんです。

ずっとが本当に1秒も途切れることもない痛みであれば、それは痛いところが腫れていたり炎症が起きている可能性があがります。
そうではなく、ずっとを「何かした時痛くなると」いう意味で使っているのであれば、どこか特定の筋肉や腱などが痛んでいて症状がでている可能性が高くなります。

とくに救急外来では、このずっとの重要性がさらに高まります。
1秒もよい時間がないずっとの場合、早めに何か対処しないといけない病気である可能性が上がるので患者さんがずっとと言った時ほど、本当にずっとなの!?早く確認したい!と思いながら問診をしています。

今日は外来でのずっとにまつわるメタファシリテーションの応用についてお話しさせていただきました。また、外来でのメタファシリテーションの応用事例を共有できればと思います。

平野貴大 ムラのミライ認定トレーナー)


関連講座
医療・福祉職のための「聞く」技術



2022年12月13日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(4)

プログラムは現地カウンターパート任せ

CSSSと最初に始めたプログラムが、植林でした。植林といっても個人ベースのもので、いくつかの村で受益者を選んでもらい、苗木を提供し、労賃を払って受益者個人の地所に植えてもらうというものでした。植える木の種類は、材木になるもの、果樹、薪などの生活用雑木という種類分けをして、それぞれ何を植えるか受益者に選んでもらいました。果樹は3年から5年で、材木は10年以上経ってから現金収入になるようにというのが狙いです。要は植林と収入向上を組み合わせたもので、州政府の森林局を退職した人に、木をどのようなレイアウトで植えるか、コーチを受けながら、CSSSの職員と村人がそれを方眼紙の上に描いて、その通り植えていくというものでした。

二つ目のプログラムが、水田の開墾を支援したりヤギを配ったりするものです。これも、村ごとに受益者を選んで、その希望に合わせて開墾の費用、労賃や役牛のレンタル料を支給するというもの。井戸を掘ったり、溜池を掘ったりもしましたね。
 三つ目のプログラムが、夜間識字教室です。成人向けと学齢期の子ども向けと開きました。当時は、小学校5年以上の課程がある村が人口規模の大きい所にしかなく、子どもたちは、そこまで行けばドロップアウトするというのが普通で、それどころか1年生の就学率も100パーセントとはいかない状況でした。このような状況が続いていたわけですから、大人の非識字者も当然多く、特に女性にその割合が大きかったのです。

 というわけで、この3つのプログラムを始めたのですが、村の誰を受益者にするのか、いつ、どのように実施するのか、それはCSSS任せでした。そして私がすることはモニターしに現地に赴くこと。とりあえず、植林は受益者何人、植え付け面積何ヘクタール、どの種類は何本と具体的な計画があり、その点では、他の2つのプログラムも同様に実施期間も含めた具体的な計画がありました。ですから、私は現地で進捗状況を確認し、作業の様子を村々を巡ってみることが「仕事」でした。

昂揚感と充実感を与えてくれる支援の現場

当時は、私の経費というと航空運賃がかろうじて出るだけで、あとは全くの持ち出し。年に2、3回、二週間程度、現地に行くことができたかできないか。幸い、稼ぐ方の仕事は比較的時間の融通が効き、周囲の理解もあったので、稼ぎつつ、活動もできました。しかし実際私がすることと言ったら、写真を撮って、ニュースレターに掲載してキャプションを付ける程度のことです。

しかし現地に赴いて村人達の作業を見て話を聞き、夜間識字教室で大人も子どもも声を上げて文字を読み上げているのを見るのは、この上もない昂揚感と充実感を私にもたらしました。CSSSの職員のオートバイの後ろに乗せてもらって村々を周り、時にはローカルバスで移動する、そんなことも何やらプラスアルファの昂揚感を与えてくれました。特に夜間識字教室で、目を輝かせて学ぶ子どもたちは感動的でした。今思えば、子ども達の目に石油ランプの炎が反射しているだけのことでしたが。

村人からの感謝の言葉の後に必ずやってくる「次は○○も支援してほしい」という苦痛

しかし、楽あれば苦あり、で、いい気分にさせてもらった後は苦痛の時が待っていました。村人たちにとの集会です。これは二重の意味で苦痛でした。まず、みんなの前で発言を求められても何を話していいかわかリません。そして何を尋ねていいかもわかりません。仕方がないので、「村の皆さんが一生懸命作業をしてプログラムが順調に進んでいるので嬉しい」などと、愚にもつかぬことを言い、そして「プログラムはどうでしたか?」と、これも愚にもつかないことを尋ねるわけです。すると村人たちの反応は至ってポジティブです。これは、寄付してくださった方たちにいい土産話ができるぞ、というより、成果として報告できるぞ、というような内容です。


ここで二つ目の、そして限りないプレッシャーとなる苦痛がやってきます。「おねだり」です。プログラムに対する感謝の言葉の後には、必ず「次に何々をやって欲しい」というお願いをされてしまいます。灌漑池があれば乾季も耕作できるし、あと10ヘクタールは水田を開ける、など。「灌漑池」は、あるときは、井戸だったり、家畜だったりします。ささやかな、あまりにもささやかな予算しか組めない私には、「果たして村人の要求に応えることができるのか?」、「どう答えたらいいのか?」まさに身の縮む思いでした。

プログラムの根拠は「貧しい」という、私と村人の双方の思い込みだけ

当時は「潤沢に資金があったらな」などと考えたものですが、今思えばあんなやり方をしていたら、たとえその時の100倍の資金があったとしてもキリがなかったでしょう。なぜなら、当時のプログラムには根拠がなかったからです。彼らは「貧しい」というこちらの、そして村人たちの、つまり双方の思い込み以外には。そのことに気づくには、後数年の月日が必要でした。
どうやって気づいたかって? 
それは次回で。

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)