2015年9月28日月曜日

「理由」と「きっかけ」 似て非なるもの

留学生に日本語を教えています。

みなさんは、「きっかけの意味は?」と聞かれたら、なんと答えますか。
「原因・理由」と答えたくなりませんか?

この語彙を授業で担当したことがあります。
「Xがきっかけで、日本へ留学しました」の「X」を文作させたところ、
・日本のアニメがすきなのがきっかけで…
・日本の大学に進学したいのがきっかけで…

などなど、日本語ネイティブからすると、違和感を感じるものがでてきました。
「通じたらいいじゃん」という考えもありますが、中上級レベルの学生には、
もう少し精度を求めなければなりません。

違和感の正体はなにか?それは、「きっかけ」って、「理由」じゃないということです。
じつは、学生の違和感文作で、私もはじめて気がついたんですが…。
だいたい用意した会話文も悪かった。

A:Bさんは、どうして日本へ留学しようと思ったんですか?
B:そうですね、~がきっかけです。

これじゃ、学生が「アニメがすきなのがきっかけで」と答えたくなります。
『きっかけ』って『経験』!
ということは、事実質問を実行するチャンスです。さっそく「いつ?」「何か経験した?」と
聞いていきました。

文作も、「Xがきっかけで」をあらため
「私は~とき(いつ)、動詞タ形(経験)のがきっかけで、日本へ留学しました」
すっきり。(ちなみに動詞タ形は過去形のこと)みんな上手に文作できました。
それだけでなく、会話が続く「きっかけ」になったようでした。「どうして日本へ?」
には「進学」「就職」「日本文化」などかっこいい答えが出てくるんですが、そうすると

へえ、そうですか。がんばってください。

で終わってしまいがち。でも、「きっかけ」を話すと、「○○?ああ、知ってる」
「わたしも見た」「小学生のとき、わたしの国でも放送されてた」など、わきあいあい。
すると、ある学生が、

「先生、私は…大学2年生のとき、両親に留学しなさいと言われたのがきっかけで、日本へ来たんです」
とこっそりおしえてくれました。
なんか本音がきけて、変なんですけど、ちょっと、うれしくなったのでした。

(ボランティア/日本語教師 吉田佐内)



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2015年9月22日火曜日

相手に語らせる

友人や家族、同僚との会話で、頼まれてもいないのに「こうしたらいんじゃない?」と、つい提案してしまうことはよくあることです。相手が、とにかく聞いて欲しいだけで別に解決案が欲しくて話をしているとは限らないのに、提案してしまいます。ムラのミライが、国内外問わず地域開発の現場にて有効としてオススメしている「対話型ファシリテーション」は、対話を通じて、こちらから提案するのではなく、相手に気づきをもたらすところから始まります。この「気づき」をもたらすためのテクニックとして、「相手に語らせる」ことがあります。この「相手に語らせる」こと。このことを最近とても身近な存在である母との会話で成功したので、その時の様子をお伝えしたいと思います。

背景:自分自身の楽観的なところ、根拠無き自信の塊のような私は、どのようにして形成されたのだろうと疑問に思うことがありました。あっけらかんとしてのんきな父親から影響を受けているに違いないと思っていたのですが、よく考えてみれば、小中学生の時に口を酸っぱくして言われていた母からの一言「あんたはやったら絶対できるから!」は、もしかすると自分にとても大きな影響を与えていたのかもしれないと思うようになりました。そこで今回、「事実質問」を意識しながら、母の私に対する根拠無き「やったらできる!」はどこから来ているのか、母も彼女の両親に同じようにいわれて育ったのか、その辺を探りたいと思い聞いてみることにしました。いきなりいろいろ質問すると怪しまれるため、まず上記の理由を簡単に説明した上で、「で、お母さんも同じようにおばあちゃんとおじいちゃんたちに、「やったらできる!」で育てられたん?」という質問から入りました。

私「お母さんも同じようにおばあちゃんとおじいちゃんたちに、「やったらできる!」で育てられたん?」
母「いや~全然そんなことない。何も言われてないな~。うちの兄がよくできるから兄は期待されていたけど、私に対しての親からの期待は無かったよ。」
私「おじさんってめっちゃ成績優秀やったん?」
母「よくできた。勉強しなくても成績よかったよ。」
私「じゃぁ、お母さんは、おばあちゃんに「あんたはやったらできるから」と言われて育てられた記憶が無い?」
母「そんなん全然いわれへんかったで」
(私:なるほど。おばあちゃんのお母さんに対する教育方法と、お母さんの私に対する教育方法が違うなぁ)
私「おじさんが勉強しなくても成績よかったっていうのは、おじさんが勉強しているところをお母さんがみたことがないってこと?」
母「ほとんどない。よく外に行って遊びにいってたよ。」
私「お母さんは?」
母「私も兄と一緒に外で遊ぶか、漫画ばっかり読んでた。」
私「お母さんの成績はよかったの?」
母「悪くはなかった。」
私「漫画ばっかり読んでいたのに?それっていつ頃?」
(ここで私は、かつて母が自分のことを「ガリ勉だった」といっていたので、あれ?と思い、「いつ?」質問をすることに)
母「小学生のころかな~」
私「ふーん、じゃぁ、小学生の時は別に成績悪くはなくて、でも勉強した記憶もなくて、いつも漫画ばっかりお母さんは読んでいて、できのいいお兄さんがいたってことね。」
母「そう。それで、兄の出来があまりにもいいから、大阪の中学校にいかせるために、引っ越した。」
私「そうなんや。勉強のために滋賀から家族で引っ越したの?」
母「そう。そこで兄が、初めて成績トップでなくなった。マンモス学校に入ったことで、生徒の母数も大きかったから。でも、兄が勉強したらすぐ挽回して次の試験では上位に入りはったんよ。」
私「へ~!すごい!優秀!で、お母さんも中学から大阪に行ったんでしょ。お母さんも同じように成績落ちたん?」
母「それがな、まぐれやと思うねんけど、特に勉強してないのに、まぐれで成績1位をとってん。」
私「へ~!一位!すごい。」
母「そうしたら、おばあちゃんに、「あんたもやったらできるんやね~」って初めて言われてん。それから、一生懸命勉強にするようになって、成績はよかったよ。」
・・・
 私の母が、かつてはガリ勉だったと言っていたのは、この中学校での成績まぐれ一位事件をきっかけに勉強するようになってからのことを言っていたのだと初めて知りました。それまでの小学校時代の母は漫画好きでほとんど勉強しない子供であったようです。教育熱心な母に育てられた私は、自分自身をガリ勉と称していた母は子供のころから成績優秀な頭のいい人であったと思っていたのですが、その考えは「思い込み」であったと気づきました。
初めて、知らなかった幼少期の母の一面が見えた気がしました。
このやりとりを通じて感じたことは、母を語らせることができたということでした。

私は中学校1年生位までに、私の両親の両親、つまり祖父母は全員亡くなっていました。従って、自分の家族のルーツを知るためには親に聞くしかなく、過去になんどか根掘り葉掘りきいたことがありました。当時は「事実質問」は知らず、自分の好奇心を埋めるためにとにかく質問、思いついた順に質問を並べ立て、「なんで?」を連発し、質問を受けた母をよく疲れさせていました。「もう疲れたからしんどい」と言われて強制終了を余儀なくされた、私の「家族のルーツ知りたい質問」の経験は苦い経験です。下手に質問するとまた答えてもらえなくなる、、という懸念があったのですが、「事実質問」は相手に考えさせず「思い出させる」ことが鉄則なので、練習の意味で、「なんで」を使わず、母に強制終了させられずに、会話を繋げてみようと思い、始めました。
上記の会話は記憶をたどって再現したものですが、実際にはもう少し長いやりとりがあり、基本的には母を気持ちよく語らせることができたと感じるものになりました。

「対話型ファシリテーション」は、対話を通じて相手に「気づき」をもたらすというところが特徴の一つです。
今回の私の「事実質問」練習から、母へもたらされた「気づき」は特にありません。また今回、その部分は意識しておらず、私の「自分自身の根拠無き自信」は、親からどのように影響を受け、またその親はどのようなきっかけで「基本的に大概のことはやったらできる」と思うようになったのかという単純な疑問の答えを「事実質問」を意識しながら探るというところにありました。

結果、母の私に対する「やったらできる」論は、彼女の中学生以降の体験に基づいたものであり、彼女自身もガリ勉になる転機(つまり、まぐれでとれた学年1位の成績が、彼女の母(私の祖母)の「やったらできるんやね~」の一言につながり、そこから勉強するようになった)があったということがわかりました。相手を語らせることができたという経験と、実はガリ勉ではなく漫画を読みふける少女時代があった母の新たな一面を発見し、自分の母の知らない部分は沢山あるな~と思った次第です。

さてこんな風に時々「事実質問」の練習台にさせられている私の家族。
私が「事実質問」を使いながら会話を途切れさせることなく、相手に語らせ、そこから相手に「気づき」をもたらせ、そして最終的にその「気づき」による行動変化が伴うような名ファシリテーターには、まだまだ道のりは遠いのです。私の身内、周りの人たちは私の練習台にまだまだ付き合わされることになりそうです。


(海外事業コーディネーター 池崎翔子

2015年9月15日火曜日

ファシリテーション手順 その2



前回(8月4日)の記事でファシリテーションの具体的な手順IIまでお伝えしました。

I:セルフエスティームが上がるようなエントリーポイントを見つける→道具を褒める

II:課題を整理する:それは本当に問題なのか

その後家庭内や職場で試されましたか?今回は前回続きIIIとIVをお伝えしたいと思います。



III: 一番最初(最近)にそれがおこったのはいつですか?→時系列を組み立てる
課題を聞く時のコツとして、①「一番最近その問題が起こった(顕在化)したのはいつですか?どこですか?誰がどう困りましたか?」と、最近のことから聞いていくのが有効です。以下途上国の人々との話し方に掲載されている例です。



ある女性(Hさんとしておく)が、中学生の息子があまり元気そうでない表情をしているのに気がついた。その際のやり取りである。
母「浮かない顔して何か心配事でもあるの。」

息子「うん、最近よく宿題を忘れて・・・・。」

母「そう。じゃ、一番最近忘れたのはいつ。」

息子「一週間くらい前。」

母「じゃ、その前に忘れたのは。」

息子「二ヶ月くらい前かな。」

母「その前は。」

息子さんは、しばらくして考えて答えた。

「その前にはなかったかもしれない」

そう答えながら、息子さんの表情が少し明るくなったのに彼女は気がついたという。

もうひとつの聞き方は、②「それが一番最初に起こった時のことを覚えていますか。いつですか。どこでしたか。」と問題が最初に顕在化したときまで遡って聞くことです。①と②に共通して大事なことは、時系列に沿って質問すること。奨励するパターンは、まず①を聞いて、その課題が本当に課題かどうか確認します。もし課題でないと分かったら、更に聞き込み「本当は問題ではない」「問題は別の所にある」といったことに相手が気づくよう、事実質問を繰り返し問題について検証してもらいます。

IV: 課題・問題の起点に遡る


相手が課題や問題が原因で困ったことがあるなら、同じような問題が最近起こったかどうか聞きます。もしくは「その問題が一番最初に起こったときのことを覚えていますか?いつですか?どこですか?」と尋ね、相手と一緒に問題の「起点」を探します。課題分析を誤ったと思ったら、「起点」の捉え方に誤りがあった可能性を考え、問題が顕在化した時からの経過を具体的に追う質問を繰り返しましょう。ここで一番大事なのは、問題の原因追求にこだわらないことです。
今回はIVまで紹介しました。身近に悩んでいる方がいる場合、前回の記事でご紹介したI:相手のセルフエスティームを上げるところから会話を始め、問題の起点まで遡ってみてはいかがでしょうか。次回はV 解決方法を探るについて投稿したいと思います。

引用
「途上国の人々の話し方」p297~p299

(ボランティア 池田) 

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2015年9月8日火曜日

夏休みの宿題

小学校4年生の息子がいます。
妖怪ウォッチのゲームが生きがいです。
私が見咎めて声をかけるまで、ずーっとゲームをしています。

さて、問題は、長い長い夏休み。
私が仕事で留守の間、たぶん、のびのび、ゲーム三昧。

いままでは、「どうしてそんなにゲームばかりするん」と小言を言っていました。
でも、今年の夏休み、私は自分自身に「事実質問を実践すること」という宿題を
課してみました。

私:なあなあ、いつもさあ、一日何時間くらいゲームしてるん。
息子:えー…たぶん2時間くらい。
私:(嘘やな。)ふーん。じゃあさ、今日は何時間ゲームしたん。
息子:知らへん。
私:確かDSって、ゲームした時間わかる機能ついてるやろ。見してみー
息子:えーーーー
私:何時間やった?
息子:(おそるおそる見る)…15時間…
私:15時間?!
息子:ちゃうねん!これは充電してから、ゲームした時間!今日だけちゃう!
私:充電したのっていつよ
息子:おととい
私:じゃあ、一日何時間やってる?はい割り算
息子:5時間…
私:一日5時間。
息子:……長いな。

子ども本人の口から「長いな」という言葉がでました。
事実質問、成功です。

このあと、彼は、私がなにも指示しないのに、台所からキッチンタイマーを持ってきて、
自分でゲーム時間を決めてゲームをし出しました。
これは夏休み中つづきました。私は小言をいわずに済み、めっちゃ楽チンでした。

私の夏休みの宿題も無事に達成でき、めでたしめでたし。

(ボランティアスタッフ/日本語教師 吉田佐内)



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2015年9月1日火曜日

むかしばなしで気づきを促す

ある日、農村の道を、一人の老師が牛車に乗って旅をしていました。荷台の前に座った老師はのらりくらりと牛を歩ませながら、傍らを歩く弟子の少年に「道がデコボコで荷物が落ちるかも知れないから、ちゃんと見ておくように」と言いました。荷台には、道中の煮炊きに必要な鍋釜や老師の本など、色々と積み上げられています。
デコボコ道に時々よた付きながらも、目的地にたどり着いた二人。さて、お茶でも沸かそうかと荷台から降りた老師は、あるはずの荷物のいくつかが無くなっていることに気づきました。「ちゃんと見ておくように言っただろう」と老師は怒ります。弟子は、「ちゃんと見てましたよ、落ちていくところも。でも拾えとは言われませんでした」と答えたとさ。
 
これは、私たちの活動地、南インドの農村でも知られている民話の一つです。この話から、皆さんは何を汲み取るでしょうか?
「指示の仕方が悪い」あるいは「ちゃんと荷物は括っておかないと」という意見もあるでしょうか。

【相手の気づきを促す】時に、事実質問に加え、例え話(比喩)もよく使います。例えば「村人が希望しているため池のサイズが、灌漑したい水田地の面積に対して全く理に叶っていない」時に、和田さんは「それは1匹の鶏を100人で食べるようなものだ」とまず一言で返します。すると、村の人たちはハッとして、改めて池のサイズや水田面積を見直し、意味のないプランだったことに自分たちで気づくのです。

冒頭の民話は、村の人たちが山に設置した石垣など構造物のモニタリングをしなければ、と動き始めた時に、よもやま通信でもおなじみのラマラジュさんが引き合いに出した話です。村の人たちが模造紙に書きあげたモニタリング内容は、「何月に誰それが見て回る」ということを書き連ねたものでした。そこで、おもむろに冒頭の民話を語り出したのです。
村の人たちも最初は「あほやなぁ」と笑っていましたが、しばらくして呟きました。「ボク達が書いた事も、ただ見てるだけかも?」
そして、何のためにモニタリングをするのか、『荷物が落ちたらそれを荷台(元の状態)に戻す』という事が必要で、それはつまりメンテナンスをしなければいけなくて・・と、まず『モニタリングの目的』が明確になり、それに沿った内容ができあがったのでした。

事実質問を使って気づきを促す時に、まず相手にとって馴染みのある事柄に惹きつけてからポイントに持って行く、という一つの技です。

ではどうやって馴染みのある話や出来事を見つけていくのか。それは、日常での観察や会話、体験の積み重ね。これが、「10歳の子どもでも80歳のお年寄りでも分かる」ように説明することにも繋がっていくのです。



(事務局次長/海外事業部チーフ 前川 香子

記事に出てきたプロジェクトの様子はこちらから


2015年8月25日火曜日

「知らない」ということに気がつく

対話型ファシリテーションを初めて知ってからはや2年、事実質問の練習というと、「他人の相談に乗る」をしがちな私ですが、最近、モノについて質問をすることのおもしろさを噛み締めるできごとを体験しました。

それは、大阪府箕面市に住む私が、近所の商店街に行ったときのこと。個人経営の酒屋さんで買い物をしようとしてレジに行くと、そこで「粟生間谷産のハチミツ」という文字が目に飛び込みました。すぐ近くの地域の名前なのですが、こんな近所で養蜂をしているとは聞いたことがなかったので、思わず「これ、粟生間谷のどこで作ったものですか?」と尋ねました。
「あぁそれ、お寺に向かう道の近くに橋があるでしょ。あの近くなんですよ」
「へぇ~、箕面でもハチミツを作ってるところがあったんですね。初めて知りました」
こうやって話をしながら、レジのおばちゃんに、4月から7月の間に絞った、6種類のハチミツを味見させてもらいました。
「全部おいしいけど、どれも個性があって同じものはない、おもしろいですね~。」
という感想を述べると、
「これは△月だから、○○の花が満開に咲いてる時期でね。こっちは□□の花でね・・・。」
と教えてくれるおばちゃん。
楽しそうに話しをしてくれたので、その流れで、
「いつから作ってらっしゃるんですか?」
「蜂はどこから手にいれられたんですか?」
「何月から何月まで蜜が採れるんですか?」
と、細かく質問をしていくと、旦那さんや息子さんも店の奥から出てきて、我先にと答えてくれました。
そして、「蜜を絞る」工程についての質問にさしかかったとき、ハタと気が付きました。
「私、そもそも『ハチミツを絞る』ってどうやってやるのかまったく想像がつかない!」
完全防備をした人間がハチの沢山ついた巣を取り出す・・・という場面だけはテレビで目にすることはあっても、その前後に、いったいどんな過程があってハチミツができているか、知らないどころか考えてみたこともありませんでした。
そして、「知らない」ということに気がつくと、知りたくて仕方がなくなります。
「取り出した巣に群がっている大量の蜂はどうするの?」
「巣の中にある卵や幼虫は?」
「何人で、どんな道具を使って作業するの?」
「蜜を取った後の巣はどうするの?」
 そんな疑問をひとつずつ解消するために質問を重ねていくと、最終的に、1時間ほど喋り通して、気がつけば閉店時間を30分も過ぎていました。
最初は単に、「どこまで事実質問で会話をつなげられるか試してみよう」という気持ちで始めました。それが、「自分は、普段の生活で使っているモノやそれがどういう過程を経て存在するか、何も知らないんだ」ということに気づくきっかけになりました。

帰った後に『途上国の人々との話し方』を読み返し、こんな記述を見つけました。
「事実質問を行うことは、物事の多様な側面についての知識と各要素間の相関関係への理解を深めるための絶好の訓練になる。その積み重ねが、ものごとへの理解を飛躍的に高めてくれること、請け合いである。」
うーん、物事の多様な側面についての知識・・・、相関関係への理解・・・、それが「分かった!」とはまだ到底言えないけど、それまで当たり前に使っていた「ハチミツ」について、今まで見えていなかった景色が少し見えたという感覚はありました。

「他人の気づきを促す」なんて言う前に、まず自分が気がつかないといけないことが、まだまだ沢山ある!と喝を入れつつ、これからも「自分は知らない」という心持ちで事実質問を続けていこうと、気持ちを新たにしました。

みなさんも、身の回りにあるもので試してみてはいかがでしょうか?


(海外事業コーディネーター、コミュニケーション 近藤 美沙子

2015年8月17日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 よもやま通信 第22号「奇跡じゃない、これがオラたちの軌跡」

 7月下旬、例年、村人たちは田植えの準備で忙しい。ところが今年はどうやらお天道様が頑張りすぎているらしく、まだまだ夏の暑さが続く。待っても待っても来ない雨を、辛抱強く待ち続ける村人たち。8月に入ると、やっとたくさんの雨が降るようになってきた。これから、村人たちの農業が始まる。



1    雨降って、さぁ植林

指導員の力を借りつつ、植林計画を完成させた村人たち。合計8か村から58世帯が植林を行う。植木屋に苗木を注文し、村で手に入る株分け用の茎(植林方法の一つ)は自分たちで収集して、準備は万端、あとは雨が降るのを待つだけだ。
と、思いきや、なかなか雨が降らないうえに、降ってもすぐにやんでしまう。
「こんなに雨が降らないのは30年ぶりだ」
ラマさんも首をかしげている。なにより大変なのは村人たち。植林はともかくとして、これっぽっちの雨では生活に一番重要な米づくりができない。
そんな不安な日々が続く中で、8月に入ると少しずつ雨が降り始めてきた。田植えが出来るようになるまではもう少し雨が降るのを待つ必要があるものの、これでなんとか植林活動は始められる。
「植林をするからモニタリングに来てほしい。」
と最初に連絡があったのは、コッタグダ村だ。コッタグダ村は12世帯と、他の村と比べても小さな村で、テルグ語の読み書きができる人が数人しかいない。活動をしていく中で読み書きが必要なときは、いつも1人の青年がその役割を担っている。
植林当日、コッタグダ村に出かけて行ったスタッフとポガダヴァリ村の指導員たち。しかし、村に到着してみると植林を行う9世帯のうち、3世帯の人たちしかいない。ちょうど雨が降ったので、他の村人たちは田植えに行ってしまったのだ。そして、いつも読み書きを担当し、音頭を取っている青年も別の農作業に行ってしまって、いない。
もちろん、読み書きの出来ない村人たちも植林の経験はあるし、植物の知識は豊富だ。植林計画も、読み書きが出来ない人でもわかるように、木の名前ごとに色を変えてリストを作り、縮図に描きこんでいる。だけど、その場を仕切り、村人たちを統率する青年がいないため、村の人たちの重い腰がなかなか上がらない。
そんな中で、これまで研修に参加してもいつもの青年に隠れて前には出てこなかった少年スレッシュが、リーダーシップを発揮した。彼は、縮図を読みながらその土地の持ち主や作業を手伝っている人たちに説明をして、苗木の種類と間隔にも注意しながら植林活動を手伝った。
計画に基づいた複数の樹種を植える植林をした経験がなくて、戸惑っていたコッタグダ村の人たちも、この若者の活躍に刺激を受けたのか、翌日には残りの村人たちも植林に取り組み始めた。いつも村での読み書きを担当している青年の不在で、どうなるかと思ったコッタグダ村の植林は、もっと若い世代の活躍で、無事に実施することができた。スタッフも、指導員も知らないところで、着々と若い世代が育っているのだ。
そして、村人たちが一度やる気になりさえすれば、
「ライムの木は水がたっぷり必要だから、こっちに植えた方がいいぞ」
と言った具合に、植物の知識が豊富な年配の世代が今度は若い世代を助ける。計画に沿って、時には修正しながら、植林をする。植林そのものは、個人の土地でしていても、村人たちは世代を超えて協力しながら、森づくりを進めている。





    





2    ブータラグダ村の裏舞台

前回のよもやまで触れた、「オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに」。事業パートナーのJICAチームの訪問時に他の村の人たちも呼んで、これまで行ってきた活動を劇の形式で発表することに決めたブータラグダ村の村人たちだが、そのきっかけは、ブータラグダ村での準備の日でのやりとりだった。以下はキョーコさんの回想をつづる。

15人弱が集まったブータラグダ村での準備の日。
ラマラジュさんがおもむろに尋ねる。
「例えばラジェシュ、君がハイデラバードの学校の寄宿舎で病気になったとする。で、父親はこの村にいる。父親を、例えばチュッカイヤ、君だとする。」
何が始まるのだろう、と恐る恐る話を聞いているブータラグダ村の人たち。そして言われるままに、ラジェシュとチュッカイヤはみんなの前に出てくる。
「ラジェシュの友人を、ドゥルガラオ、そして医者をラメーシュ、としようか」
ドゥルガラオもラメーシュも、前に出てきた。
「例えばこの村でも、親が不在の時に子どもが急に具合が悪くなったら、君たちはどうする?」
「助けてあげます」
「どんな風にするのか、ちょっと見せてくれるかな?医者に診せるのに必要なお金は、父親が送ってくれるとしよう。」
私自身も、最初は何をしようとしているのだろう、と思っていたけれど、ここにきてピーンときた。
ゴニョゴニョと、話し込んでいる4人。周りの人たちから急かされて、4人の寸劇が始まった。

(病人役)「あ~、苦しいよう。頭が痛いよう。う~ん、う~ん・・」
(友人役)「どうしたの?わ、凄い熱!いつからこんなに熱が?」
(病人役)「朝から・・・(シーツを被って、ぶるぶる震える)」
(友人役)「お医者に見せないと・・・っていうか、親御さんに知らせないと」
(電話をかける友人役)「もしもし、ラジェシュのお父さんですか?ラジェシュがすごい熱を出していて、お医者に見せた方が良いと思うんですけど」
(父親役)「マラリアか?・・あ、そう、分からない。とりあえず、早いところに医者に連れて行ってくれ」
(友人役)「分かりました。また連絡します」
(病人を医者に連れて行った友人役)「先生、今朝から急に熱が出た様なのですが」
(触診をする医者)「脈が速いですね。ここは痛くないですか?(病人と問答してから)血液検査をしましょう。万が一、マラリアだったら注射を打たないといけません」
(父親に電話をかける友人役)「検査をするのですが、マラリアかもしれません。お金を送ってくれますか?」
(父親役)「わかりました。お金は送るので必要な治療をしてください。また連絡をしてくださいね」
(医者役)「検査の結果、マラリアですね。注射をしましょう。(注射をしてから)そしたら、2・3日経っても熱がさがらなければ、また来てください。下がっても、1週間後にまた様子をみましょう」
(友人役)「はい」
(医者役)「1200ルピーです」
(友人役)「はい、お金です。領収書をください」
熱を出して震える病人役も、注射を刺す医者役も、さすがそういう場面に何度も出くわしているためか、とてもリアルにやってみせた。
だが、単に寸劇をするのが目的ではない。続けてラマラジュさんが質問する。
「お父さんには、この後どうするのですか?」
「友人がとりあえず電話して、注射をしたことやその後の様子を伝えます」
「友人だけが、伝えたらいいのだろうか?」
「いえ、病気になった息子本人も、連絡しないといけないです。元気になってからでも、何があって、どんな治療をして、今どうなったのか」
「そうですね」
そして、一呼吸置いてから次の質問をする。
「ところで、みなさんが今している活動は、誰と誰がしていますか?」
「ぼくたちB村と、ムラのミライと、ソムニード・インディア」
「だけですか?」
「ジャイカ」
「そうですね。今までに、ジャイカの人たちに会ったことはありますか?」
「この前、村に来られました。たしか数年前にも・・・」
「来週、また来られます。ジャイカの人たちに、何があって、何が起きて、どうなったか、それを説明するのは、誰がいいのでしょう?」
「ボク達だ」
「そうです。ムラのミライも、ソムニード・インディアもジャイカに伝えています。だけど、あなたたちからも、伝えなければいけませんよね。私たちは、伝えることができます。だけどそれは、ムラのミライがあなたたちの活動を見聞きしたことであって、ブータラグダ村が経験したこと、その時々で考えたこと、感じたことを伝えることができるのは・・」
「ボク達です」
「じゃぁ、どうやって伝えましょうか?2007年の事は、もう実物を見せられません。どうしますか?」
そして、集まっていた村の人たちが頭を寄せて考え始めた。
まずは何が起きたのかを順序だてて思い出す村の人たち。議論を引っ張るのは、指導員も務めるアナンド。私たちが忘れかけていた細かいことまで、覚えていた。
ただ何をしたか、何が起こったかを思い出すだけではない、その結果、どうなったのか。
そして、その結果がこのブータラグダ村にどういう影響を及ぼしたのか、そうした事を見ていくのが、自分たちで行う評価である。
模造紙に書いて読み上げるだけの発表はつまらないと、劇も交えて、2007年からどう変化していったのかを小道具でも表現することになり、JICAの人たちが来る日まであと10日と迫る中、彼らの準備は急ピッチで進んでいった。
そして、改めてこれまでのプロセスを自分たちで振り返ったオッチャンオバチャンたちは、
「JICAだけじゃなく、この事業をしている他の村の人たちにも見てもらおう」と奮起して、約100人が座れる場所や昼食の準備も、「任せておいて」と頼もしく宣言してくれたのだ。



3    奇跡じゃない、これがオラたちの軌跡

最終評価当日、ブータラグダ村を訪れるスタッフたちとJICAチーム、この時期に合わせてネパールから和田さんもやってきた。
村人たちが準備した会場には、砂で作ったブータラグダ村の流域のミニチュアと、村でとれる作物やSRIの稲のモデルが展示されている。JICAチームや和田さんたちに用意された歓迎の花の首飾りには、2009年に植林した木が咲かせた花が使われ、濃厚な香りを放っている。この地で「サンパンギ」と呼ばれるインド原産の木だ。劇の準備だけでも大変だっただろうに、自分たちで工夫しながら会場を設営して、スタッフとJICAチーム、そして他の村の人に、これまでの活動を伝えようとするブータラグダ村の人たちがより一層頼もしく感じられた。


音声のチェックを終えて、会場の準備は整った。隣のパンドラマヌグダ村とバルダグダ村から、そして車で2時間も離れたポガダヴァリ村とアナンタギリ村から、招待された村人たちがぞろりぞろりと集まって来る。それに合わせて準備に携わっていないブータラグダ村の村人たちも会場にやってくる。
『これから何が起きるんだろう?』と、ワクワクしながら、お父ちゃん、お母ちゃんが働く姿を見つめる村の子どもたち。立派に会場を仕切る息子たちを静かに見守る村のおじいちゃん、おばちゃんたち。会場が一杯になった。アナンドがマイクを握る。彼は流域管理の指導員として、村のリーダーの一人として、流域管理の活動を引っ張ってきた。ムラのミライとソムニード・インディアのそれぞれの代表格和田さんとラマさん、2007年からずっとB村に寄り添い研修を行ってきたキョーコさんとラマラジュさん、他のスタッフたち、JICAチーム、招待された他の村の人たち、それぞれの紹介を終えて、いよいよブータラグダ村の軌跡の発表が始まる。



...そう、始まりは2007年、ムラのミライ、ソムニード・インディアとブータラグダ村との出会い。
最初は、流域なんて言葉も知らなかった。でも研修を受けて、自分たちの流域のことを知った。自分たちの村にある資源を知った。植物図鑑を作って、計画づくりのやり方を学んで、石垣をつくって、植林をして、今度はそれを村のみんなでメンテナンスできるような仕組みをつくって、、、
少しずつ自分たちの森のことを知って、それを守り、今度は農業に活かすための実践を続けてきた。そして、自分たちが習得した技術を隣の村にも教えるようになった。
今では、自分たちで流域管理の計画を立て、それを実践できるようになった。今では、乾季でも村で水が手に入るようになった。今では、農業の計画を立てて、小さな土地を有効活用して、より多くの、多種類の作物がとれるようになった。今では、化学肥料に頼らなくても、ミミズや牛糞や葉っぱを利用して、土に栄養を与える方法を知った。毎月各世帯から貯金を募り、今では村の中でお金の貸し借りが出来るようになった。そして、今では
「安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村」
という目標を立てて、それを達成するため2020年までの計画を立て、実行している。
誰かが『あーしろ、こーしろ』と、指示したわけじゃない。この全ては、ブータラグダ村の人たちが自分たちの意思で続けてきたこと。自分たちの意思だから、8年間、ずっとこの活動を続けてこられた。
ブータラグダ村の軌跡の発表が終わると、会場からは拍手が巻き起こった。司会をしていたアナンドがブータラグダ村のみんなを呼び寄せた。子どもたちも、若者たちも、お母ちゃんも、お父ちゃんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、『これがオラたちのブータラグダ村』だと言わんばかりに、その嬉しそうな顔には、自分たちの村を誇る自信が感じられた。
素晴らしい発表に筆者も感動した。そしてなによりも、この日のために村で計画をして、準備をして、私たちスタッフや他の村の人たちを招待して、この大きな催しを成功させたことがブータラグダ村の成長を物語っているような気がした。ブータラグダ村だけが特別だったわけじゃない。ただ、一つ一つの研修を積み重ねて、村のみんなで考えて、村のみんなで計画し、村のみんなで実践をしてきたから、いまのブータラグダ村がある。



他の村人たちは、このブータラグダ村の軌跡を聞いて、何を思ったのだろうか?
司会のアナンドが、他の村人たちにコメントを求める。
同じ2007年から流域管理を続けてきたポガダヴァリ村のチャンドラヤは、
「オラたちも、流域について学んで、植林をして、石垣をつくって、農業のことを学んで、、、」
と、自分たちの活動もアピールするように身振り手振りで話しだした。ブータラグダ村の発表に触発されたのか、前日にJICAチームがポガダヴァリ村を訪問したときよりも、もっと威勢がいい。同じく前日にJICAチームが訪問したときは、恥ずかしがる表情を見せていたアナンタギリ村のクリシュナも、今日は堂々と話している。
パンドラマヌグダ村とバルダグダ村は、ブータラグダ村の指導員から流域管理について学んできた。指導員たちから学び、実践してきたことを振返って、
「自分たちもこの流域管理の活動を続けて、ブータラグダ村のようになりたい。」
と抱負を語った。
ブータラグダ村の発表は、ブータラグダ村の人たちだけでなく、他の村の人たちにとっても、自分たちの活動を振返り、評価する機会になったのだった。そして、その振返りをもとに、これからの村づくりを考えるとき、他の村にとって、ブータラグダ村は一つの道しるべになる。
2007年に始まった流域管理プロジェクト。2015年8月31日で、2011年9月から始まった草の根事業(第2フェーズ)は終わりを迎える。そのため、今回JICAチームを迎えて行った【最終評価】。
でも、ブータラグダ村の村づくりの活動のなかでは、これはきっと通過点にしか過ぎない。このプロジェクトで学んだことを活かし続けながら、お互いに新たに学び続けながら、そしてその学びを、流域を共有する他の村の仲間たちに伝えながら、ブータラグダ村の村づくりは続いていく。




「あれ、よもやま通信2部も今回が最終回?」
、、、ではありません。プロジェクトのお話はもう少しだけ続きます。次回のよもやま通信もお楽しみに。

注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
JICA:国際協力機構。本事業のパートナー。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。5月下旬から6月上旬に来日し、高山、東京、名古屋でセミナーや研修を行った
和田さん:2015年5月までムラのミライ共同代表を務め、同年6月からは、海外事業統括としてムラのミライの活動に携わる。

筆者:實方博章。