2018年7月13日金曜日

お悩み相談に必要なのってアドバイス?それとも・・・

「私、本を読むのが遅いんです。」
6月23日、西宮で開催された「メタファシリテーション基礎講座」にて。
昼食後、改めたい習慣について3人1組のグループで交互に聞いていった。1人が聞き手、1人は話し手、そしてもう1人はオブザーバー兼タイムキーパーだ。その際のルールは以下の2点。
 1.  事実質問だけを用いること
 2.聞き手は提案をしないこと
私、インターン生の野片は上記の悩みを打ち明けた。
この時、聞き手だった方は最近読んだ本を起点に、遡って聞いてくださった。
何を読んだのか、いつ読んだのか、どれくらい時間がかかったのか。
私がケータイでコラムやNAVERなどのまとめ記事を読むときはあまり時間がかかっていないことが突き詰められた。
やり取りを見ていた、ムラのミライ専務理事の宮下さんは1つ私にこう尋ねた。

「今までに本を読むのが遅くて何か困ったことや、人に迷惑を掛けたことはあった?」
私は自分の経験を思い返した。迷惑を掛けたことは無い。けれどもより早ければそれだけ良いと思うのだ。遅くて嫌なんです――とだけ、答えた。

すると宮下さんは私にこう問われた。
「他の誰かを見て、この人読むの早いな、すごいなと思ったことはありますか?」

この質問がトリガーとなって、心当たりのある光景が浮かんできた。
そうだ。あれは天気の良い昼下がりに、学校のテラスで本を読んでいた友達と話をした時のことだ。

「友達が何を読んでいたか覚えてる?」
宮下さんは続けざまに聞かれた。

友達が読んでいたのは、確か、卒業論文関係の小難しい本。話をした前日に、市立図書館へ一緒に赴き、彼女が借りていた本。たった一晩で、その本の半分を読み上げたことを彼女は私に伝えてくれた。それだけ夢中になったのだと。

それを話すことで、気がついた。問題は、本を読むスピード云々よりもむしろ、卒業論文に根ざしているのだと。私の卒業論文は、テーマも決まらず停滞中で、焦りや卒論を書き始めることすら出来ない閉塞感にうんざりしていた。彼女のように熱中して、そして早く情報収集ができたらいいのに、と感じたのだ。


「本を読むのが遅いんです」
これは問題のように聞こえて問題ではない。
宮下さんはまず、「遅い」とは何か、反対に私が理想とする「早い」とは何か、を細分化し明確にしてくださった。
次に、「本」はどのような本を指すのかについて、事実質問の中で明らかにされた。私の場合は「卒業論文関係の本」だ。

もし私が同じ悩みを友達に相談されたら、何と答えただろう。
それだけ丁寧に読んでるってことじゃない?――と、相手を否定しない様な当たり障りのないことを言っただろうか。
図書館で読んだら、すごく集中できたよ!――など、私の経験を元にしたアドバイスをしただろうか。
真剣に悩んでいる相手に、こちらの主観に基づく提案は全く響かない。必要なのは、事実質問を重ねていくことだ。相手の理想とは何か、それに対する現実は何か、細かく細かく聞いていくことだ。次から次に口から出そうになる提案を飲み込むのは難しい。事実質問をマスターした時はきっと、辛抱強い人間になっているのだろうな、と思った。一日でも早く近づけるように頑張ろう、と思った。


(野片真美 ムラのミライ インターン)



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2018年7月6日金曜日

聞き取りだけでは不十分?調査に必要なものとは・・・

6月25日にムラのミライ海外事業チーフである、前川さんが登壇された京都大学での
2回目の講義に参加してきました。今回はその後半をレポートします。前半では、私たちは言葉とそれに伴う観念といった「思い込みの眼鏡」を掛けていることに気づきました。

つまり、聞き取り調査だけでは村の現実に十分に近づけたとは言えません。

より現実を捉えるためには何が必要か。
そこで登場するのが「観察」だと前川さんはおっしゃいます。

多くの人が小学校で経験したことのある、ひまわりや朝顔の「観察」を例として挙げられました。皆さんは小学校でひまわりの何を観察されたでしょうか?

他の花とどのような違いがあるのか、種から花になるまでのスパンや成長過程、1週間あるいは1か月ごとの葉の枚数の変化、最終的な葉の枚数、サイズや高さ、気温、土、
水の量や質、等々。

偏に「ひまわりの観察」といっても、観察の対象と成り得るものは様々。ほんの数分の間であっても、上記のものが次々と並びました。

「観察」の対象や方法は目的に応じて多種多様です。期間の限られた調査では、何を、どこで、誰に、いつ、見聞きするのかといった明確な目的が不可欠であると前川さんは続けます。



道路の拡張工事を例に、調査についての理解を深めていきました。
6か月、あるいは1年、2年といった期間で、車の通りが頻繁でありながら一車線であった道路を拡張するといった内容の工事があるとします。調査チームのミッションは、工事によるインパクトの把握です。

前川さんは何が調査対象と成り得るかを問われました。
学生さんたちによって挙げられたのは以下の通りです。

   いつ -工事前、工事中、工事後のそれぞれに時点を置くことが出来る
   誰を -通りを利用する人々、通りにある店の経営者や従業員
   どこを-通りやその周辺の住居

そこで、一人の学生さんが「工事の前後を比較したライフスタイルの変化」と発言。
「ライフスタイルって何を指しますか?」と、前川さんはさらに掘り下げます。
衣食住、慣習、宗教観、職に家族構成、地域・・・。

学生さんたちが問いに答える中で分かったのは、

   ライフスタイル(一つの言葉)に結びつくイメージは人それぞれ


であるということ。つまり、一人ひとりが各々に思い描く「ライフスタイル」という思い込み眼鏡をかけているのです。




ライフスタイルの中で、食に焦点を絞ってみましょう。
食のスタイルを知るためにはどのような事実質問が出来るでしょうか。

例えば、道行く人にインタビューするとします。

   -もう食事はお済ですか?何を食べられましたか?
   -昨日は何回食事を取られましたか?
   -誰と食事をしましたか?
   -どこで食事をしましたか?

などなど。重ね重ね質問をしなければなりません。
ライフスタイル、その中の食1つをとってもこれだけの広がりがあります。
ひまわりの観察の例と同様、「観て(=観察)」、「聞いて=(聞き取りインタビュー)」、そして「知る(=調査)」ためには、何を調査するのか(=目的)を明確にすることが重要だと分かります。

「道路の拡張工事のインパクトを調査」、一見立派な目的に見える言葉のまとまり。
しかし、思い込み眼鏡(言葉)にだまされてはいけません。
どこで、誰に、いつ、何に対する、そしてどのような影響を探る必要があるのかなど、
1つ1つを明らかにする必要があるのです。

ハッキリとした目的という土台の上に、「観察」と「事実質問」。この3つが揃って初めて、調査の準備が整ったと言えるのだと学びました。
入り口にはたどり着けましたか?
道具は持ちましたか?
そして「眼鏡」は外しましたか?
自分自身に問いかけなければ、と思いました。




(野片真美 インターン=私は目が悪いので、眼鏡なしでは生活できません)



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2018年6月29日金曜日

調査を阻む「思い込み眼鏡」

「調査とは何なのだろう?」

授業の冒頭で、ムラのミライ海外事業チーフの前川さんが京都大学院の学生さんたちに問われました。前回に引き続き、講義に参加させて頂けた私も、脇で一緒に考えを巡らせました。

第一回では、村の現実に迫る調査をするための道具として事実質問を学びました。しかし、事実質問を用いた聞き取り調査だけでは十分でないと前川さんは続けます。聞き取り調査は言葉であり、言葉やそこから連想する観念という眼鏡を私たちは外せていないからです。事実質問を用いて調査の入り口を正しく見つけることが出来ても、道中で色のついた眼鏡を付けていては、村人と同じ景色を見ているとは言えません。前川さんは経験に基づくいくつかの例を紹介してくださいました。

その1つが年齢について。
「何歳ですか?」と尋ねる際、私たちは正確な答えが返ってくることを期待します。しかし。村人の中には出征証明書を持たず、自分の年齢を把握していない者も少なくありません。「年齢」という言葉は同じでも、私たちが指す年齢と、村人の年齢の捉え方は違うことが分かります。(この様な場合は、生まれた時期、あるいは前後の社会的な出来事を思い出してもらうことで年齢を推測するようです。)

村に限らず、私たちは日常生活の中でも様々な眼鏡をいくつも、いくつも掛けています。
私はこのような経験を思い出しました。

冬に大活躍するヒートテック。私にとってのヒートテックは重ね着をする際の肌着のようなもの。しかし、友人の住む寮を訪れて目にしたのは、ヒートテック一枚でウロウロする彼女の姿。その寮には沢山の学生が住んでいるので、ヒートテック姿の彼女を見かけたのは私だけではありません。友人にとってのヒートテックは部屋着用のシャツでもあったのです。自分との用途の違いにとても驚きました。
私は実際に彼女の姿を「観る」ことで認識の違いに気づきましたが、もし目にしていなかったらこのような会話をしていたかもしれません。例えば、彼女との冬旅行の前夜・・・

私  :明日からの旅行のパッキングは終わった?ホテルにパジャマ置いてあるかなぁ。
    一応パジャマも持っていく?
友達:うん!ヒートテックをトランクに入れたよ!
私  :ヒートテック?パジャマは持っていかないの?

彼女がヒートテック一枚を部屋着にしていることに気づいた後に、他にも数人の友達が
そのような使い方をしていることが発覚しました。考えてみれば、ユニクロも
ヒートテックが肌着とは言っていないように思います。
このような認識のすれ違いは普段の生活にも多々潜んでいるのだと気づきました。

では、自分の思い込み眼鏡を外すためにはどうすればいいのでしょう?
ここで、「観る」こと、つまり「観察」が登場します。
実際に私のヒートテックへの思い込みは、友人の姿を「観る」ことで解消されました。

「観察」とは何か、前川さんの講義から学んだことは次回のブログでレポートします。


(野片真美 ムラのミライ インターン)


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2018年6月22日金曜日

調査の初めの一歩、成功させるためには・・・

6月11日月曜日、午前8時30分。私、インターン生の野片は、京都大学思修館に潜入しました。京都大学の方々をはじめ、沢山の方々のご厚意のおかげで、ムラのミライ海外事業チーフの前川さんが登壇される授業に出席させて頂けることになったからです。
授業の内容は「村での調査手法」について。ミャンマーでの研修が控えた学生さんたちに向けたものです。

調査をするに当たってはじめの質問で事実を聞き出せなかったら、どんなにキレイに収まったプロジェクトでも何の価値も生み出せずに終わったと同じ。ではそれを避けるために、どのような質問をすればいいのか。まず授業では朝ごはんについて、感情、考え、事実の3つを聞き出す質問を通してそれぞれの違いに気づくことが出来ました。また、前川さんの経験を交えた説明を聞くことで、事実質問への理解が深まりました。印象的だったのは、ペアでの練習の前に前川さんが例として見せてくださった事実質問の流れ。一部省略して紹介いたします。

まず、前川さんが前の席に座っていた学生さんの持ち物を指して一言、
「これは何ですか?」‐私のボトルです。



「どこで買ったの?」「他にもこのようなボトルは持ってる?」といった質問の後、
次のように続きました。

「中には何が入ってるの?」‐何も入って無いと思います。
「振ったら音が聞こえるから何か入ってるみたいだけど・・・」‐あ!昨日入れた水です。
「え!昨日の水を入れてたの!」

飛び石の上を跳んで進むようなやり取りの末、意外な事実の発見です。
真面目そうな学生さんに対する思い込みが解消され、教室は笑いに包まれました。
いざ事実質問をすると次が思い浮かばず、踏み留まってしまうことが多々あります。
トントントン、のリズムで聞けて、
トントントン、と相手も答えられるような、
そんな事実質問を出来るようになりたいと思いました。
トントントンと、事実質問をpractice practice practiceです!


(野片真美 ムラのミライ インターン)




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2018年6月19日火曜日

ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ / 序章 (p14~16)

 国際協力とは介入であるーーー
 介入の、その先に描く「理想」とはどのような姿なのか。

今回は『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』の序章、
14ページから16ページを公開します。

 *

改めて言うまでもないが、中田と私は、長年、いわゆる国際協力という分野で仕事を続けてきた。中田流の言い方をするなら、「援助屋」というやつである。中田が常に言うように、この「援助屋」という表現には、多少の誇りと自嘲(じちょう)がない交ぜになっている。誇りの部分は、人類社会の理想に向かって困難な状況の中で仕事をしているという自負であり、そして自嘲の部分は、果たしてそれが何らかの成果をもたらし、目標とするものに多少とも近づいているのかという根本的な疑問がちらつく、その自分の心の在り様の部分である。

だが、「誇り」の部分も人類社会の理想とは何だと正面切って問われれば、ぐらつかざるをえない。畢竟〈ひっきょう)、人類社会の理想とは、具体的にどんな社会を将来作ろうとしているのかということであり、その具体的な社会像が描けない限り、単なるお題目にすぎないからだ。われわれの自嘲の部分は、まさにそこにある。そして、このことこそ私たちの前著『途上国の人々との話し方― 国際協力メタファシリテーションの手法』では書けなかった部分だ。

国際協力とは、相手側の状況への介入である。特に、私たちのように、農漁村、都市のスラムなど、コミュニティ単位で係わることが多い場合、相手が現在置かれている状況を変えるという方向で係わる。もっと端的に言えば介入するわけだから、大いにこちらの価値観を持ち込むことになる。その場合、自分たちがどのような未来をめざし、それがどのような価値観に基づいているのかよくわからないなど、これはもう笑うしかない。

私たちは、村に代表されるコミュニティ(共同体)が抱える課題を解決する。解決する主体はコミュニティであり、私たちはそれを支援するという建前になっている。だが実際は、課題の設定もその解決方法も私たちが持ち込むものであり、したがって、文化も生活習慣も、そしてそれぞれ抱える課題も違うはずの世界各地の村で、どこも似たようなプロジェクト、いやまったく同じ内容のプロジェクトを十年一日のごとく行っている。

その代表的な例が、農村で行われている貧困削減のための収入向上プロジェクトであり、大方は、何か商品作物を育てて売ろうというものである。その商品作物は、当該地域でもとから産出されていたものは希で、外から持ち込まれたものが多い。

外から持ち込むということは、すでにその作物を消費しているところを市場(しじょう)とするのであれば、新たにその市場に参入するということであり、当然ながら激しい競争に最初から晒されることになる。品質、流通経路などあらゆる面を開拓し、既存のシェアに食い込んでいかなければならない。


また、その作物を食べる習慣がなかったところを市場とする場合、消費者が日常的にその作物を消費するようにする、つまり市場を作り出す必要がある。また、作り出したところで、ある程度のボリュームになれば投機の対象になる。砂糖、カカオ、綿花、麻などの市場価格がどのように推移し、それに生産農家がどれほど翻弄されているかを見れば、それは明らかだ。それでなくとも消費者は飽きやすく、ある年もてはやされたものが翌年には見向きもされないなどはよくあることだ。

いずれにせよ、途上国の伝統的な村には、難題という表現でさえ控えめと言うほかない取り組みだ。単に商品作物を育てるという本来の農民としての取り組みのほかに、市場調査、商品の販売促進、コスト計算など、簡単に言えば会社の経営のようなこともやらなければならない。これを、長い時間をかけて学んでいけばできないことはないだろう。だが、プロジェクトの期間は通常三年から五年だ。プロジェクトが終了して外部者の投入(金銭的な投資のほか、技術的指導なども含む)がなくなった途端、作物の生産そのものがいつの間にか終わってしまうなどという例は枚挙に遑(いとま)がない。

(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』p14~16 より)




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2018年6月12日火曜日

途上国の子どもたちが学校に行けない 「貧困」ではない理由

ムラのミライで三度にわたって開かれている、私たちインターン生に、ビジネスマナー等を教えていただくインターンシップ研修の時間の中で、ムラのミライ代表理事の中田さんに、メタファシリテーションの講座を開いていただいています。今回は、中田さんの過去の実話に基づくという、「バングラデシュの農村でのスクールプロジェクト」のケーススタディを詳しく解説していただいた際のお話を書きたいと思います。



ケーススタディの内容は、バングラデシュの農村で、子どもたちの家に通学状況の聞き取り調査に行った話で、インターン生三人それぞれ問題点を分析し、事前にメールでお送りしていました。

メタファシリテーションを学んだことのある方ならご存知の通り、子どもたちが学校に行けない本当の理由(事実)を聞くためには、相手の考えや言い訳を引き出してしまう「なぜ」は決して使ってはいけません。スタッフは、「なぜ学校に行かないのか」と聞く代わりにどう聞けばよかったのかを、インターン生同士で話し合いました。
「今日は学校に行きましたか?」「今週は何日間学校に行きましたか?」など、まず子どもたちの通学状況を聞くための質問を、私たちは考えました。

しかし、中田さんは、
「お子さんは今どこにいますか?」と聞いたといいます。

私たちは、事実を聞いているつもりで、実は、子どもは学校に行っていないのではないか、(学校に行くのが当たり前だ)という思い込み、学校を前提とした仮説を、既に質問に含めてしまっていたのです。それに対して、「今どこ?」という質問は、最も基本的な事実を聞くものでした。

母:「羊を連れて、野原で草を食べさせています。」
中田さん:「誰がそうしろと言ったのですか?」
母:「夫です。」

次に中田さんは、「誰が」指示したか、という大事な要素を聞きました。「誰が」を聞くことは、今まで知り得なかった新しい情報の存在を知るためにとても大切な質問です。

次に、なぜご主人が子どもに羊を連れて野原に行けと言ったのかと頭によぎっても、そう聞いてはいけません。相手からの答えを「待つ」のです。
中田さん:「そうですか、ご主人がそう言ったのですね。」

それ以上中田さんは何も言わず、母親からの言葉を待ちました。
母:「私たちの村はイスラム教の信仰、保守的な考えが強く、女の子が学校に行くことに賛成でない男性がとても多く、夫もそうなのです。」

これが、「なぜ」と尋ねたときには知ることができなかった答えでした。母親に「なぜ」と聞くことは、母親の考えを聞くことで、事実とはいえません。子どもたちが今「どこ」にいて、「何」をしていて、「誰の」指示なのか、事実から得る情報でなければ、何が必要なのかは見えてきません。

中田さんの解説を聞いた後、私は、事実質問をしているつもりでも、自分の仮説を含めてしまっていたことに気付きました。

また、事実質問をして状況が少しずつ明らかになっていく中で、気づき、本当の事実を述べるのは、話し手自身です。
私は、今までを振り返って、相手の気づきを待たず自分の考えを言ってしまうことが何度あっただろうと思いました。私の視点もアドバイスも、一つの参考にはなっても、結局はその人自身の気付きでなければ何もその人の行動には変化は起きません。自分が言いたいから、というだけでは、相手の本音も本気も引き出せないんだと、強く思いました。

知らず知らずのうちの思い込みに気付きを与えてくれる、ムラのミライの環境に本当に感謝です!

(笠見友香 ムラのミライ インターン)

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ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ / 序章 (p12~14)


常にのどに小さな骨が引っかかっているような違和感---

四半世紀をかけて日本から途上国にまたがって多くの村々を目にしてきた著者2人。
彼らが感じてきた違和感の正体を解き明かすべくめぐらされた思索の集大成が
この『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』です。

前回に引き続き、序章12ページから14ページまで公開します。


 *


私と中田は、この四半世紀近くを、いわゆる途上国の農村や都市のスラムと係わってきた。インド、インドネシア、ネパール、ラオス、セネガル、イラン、アフガニスタン、ミャンマー、カンボジア、バングラデシュと国名を挙げていくだけでも、いったいいくつの村を訪れたのか覚えていない。その中でも、鮮やかに記憶に残っている村もあれば、行ったことさえ覚えていない村もある。正確に言えば、私が覚えていないのだから、人に指摘されて、そんな村に行ったこともあったのかと思うだけの村だ。一方日本では、個人的な係わりがあった愛媛県、山梨県、兵庫県、高知県、そして岐阜県北部のいくつかの村しか知らない。それでも、私たちが不思議に思うのは、日本であろうと途上国の村であろうと、文化やその他諸々の違いを超えて、同じ運命を辿ろうとしているとしか思えないことだ。

 それは、冒頭のエピソードに描いた陶器からプラスチックへの移り変わりに象徴されるものに、私が、常に喉に小さな骨が引っかかっているような違和感を覚え続けていたことに関係があるようだ。そして、その違和感が何によって来たるものなのか、それがわからないことによる居心地の悪さとも関係があるようだ。ただ、そのことは長年の宿題を棚の隅に放り出したままのように、まともに考えないようにしていた、というより、何をどう考えて良いのかわからなかったというほうが正直だ。

ところが、転機が訪れた。それは、中田が私の途上国の農村での仕事ぶりを参考に、実践的な優れた方法論を築き上げたことによる。その方法論という具体的な武器を手に入れたことで、この10年ほど、中田と私二人でその方法論を現場でさらに練り上げるという営みを続けてきた。それはまた、その方法論を通して私たちに新たな視野、というより私たちの思考にある種の風通しの良さをもたらす年月でもあった。そして、私がこの年月「喉に引っかかっていた小骨」について、それが何であったかを明らかにするための、十全とは言えないまでもほぼ十分な経験を積むことができた年月でもあった。



ちょうどそのようなとき、中田が、そのような試みを一気に後押しするような思考の枠組みを文章にした。その後押しを受け、私も長年の疑問に基づく思索を文章にした。この本は、そのような私たちの試みを形にしたものだ。ある意味、謎解きではあるが、そもそも、いったい何が謎なのか、何が「喉に引っかかっている」のか、私にもやもやしたものをもたらしているのか、そのことから中田は本書で解き明かしている。私は、中田が解き明かしたことが何を具体的にもたらしているのか、私がこの四半世紀、私の母国である日本と途上国を行き来することで理解できたことを書こうとしている。

したがって、基本は、あくまでも私と中田のこれまで体験してきた、いわゆる開発途上国の村や都市を通して、そして私たちが日々暮らす日本で、私たちが理解できた範囲のことだ。だから、村に関しては農村、しかも主に私が最も接することの多かった南インドの小さな山村にまつわる体験が基になっている。そういう意味では、私たちの知見の及ぶ範囲などたかがしれている。

この本は、学術的な本ではない。あくまでも、私たちの体験に基づいた村との具体的な係わりを基にした思索であり、これからどう私たちは生きていくのかの、実践的な展望だ。果たして本書がそうなっているかどうかは、読者の判断にゆだねるしかない。

(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』序章 P12~14より)



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